<南風>当たって砕けない

 これはただの印象の話でしかないのだが、失敗を恐れず思い切りやってみろという時に「当たって砕けろ」と言われたら「いや、砕けてたまるか」と意地を張る自分がいる。当たって砕けた石は、粉々になって後片付けに誰かが苦労するし、砕ける中で要素は少しずつすり減り、元に戻った時のエネルギーは必要以上に奪われているのではという、当たって砕けるその自分自身を石やガラスに例えてイメージしてしまうからだろう。いつからか、モットーや座右の銘を聞かれた時に「当たって砕けない」と答えるようになった。

 ただ、この当たって砕けない精神が発揮される頻度は昔と比べると減ったなと感じる。それは、年齢を重ねるごとに無意味に抱えてしまっている世間体だとか、何かの利害関係の渦に自分が置かれることで自身の余白を減らしていることだとか、自分の選択が直接的に誰か第三者に影響するようになった立場の問題だとか、いろんな原因がある。

 それらを考えると、自分がつまらない人間になっていくような気になってくる。同時に、これは自分の経験値が上がることで、これまで砕ける心配や不安がある中で当たってきた壁たちが、何も不安なく飛び越えたり壊したりできる壁になっているということの表れでもあるのだとも思う。

 当たった時も、ある程度の凹凸がある壁でも砕けないように、時に硬く時に柔らかくなりながら、柔軟力と適応力で楽しく当たりにいけるようになっている。片や、つまらない人間になってきたように感じるが、考え方次第では、実はすごく面白い人間になってきているとも捉えられる。

 ものは言いようだなと、結局のところどちらが良いかなんていうのは分からないなと感じるが、この思考こそが「当たって砕けない」を繰り返した結果、誕生した私なのだ。

(岩倉千花、empty共同代表)

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