92歳「念願かなった」…熊谷で父の句碑と対面 「ホトトギス」の代表俳人・山口青邨氏の長男、梅太郎さん

父の山口青邨氏の句碑を見学した山口梅太郎さん(右)と山下祐樹さん=16日午前、埼玉県熊谷市鎌倉町の星渓園

 戦後俳句の権威である山口青邨(せいそん)氏(1892~1988年)の長男で、東京大学名誉教授の山口梅太郎さん(92)が16日、埼玉県熊谷市鎌倉町の市名勝「星渓園」を訪れ、父の句碑を見学した。青邨句碑のほか、同園に所在する句碑や歌碑について市立江南文化財センターの山下祐樹学芸員(40)から説明を受けた梅太郎さんは「以前から伺いたいと思っていて、念願がかなった」と語った。

 山口青邨氏は盛岡市生まれ。1916年に東京帝大(現東京大)工学部卒業後、39年に同大教授となって鉱山学を教えた。22年に水原秋桜子らと句会を興し、高浜虚子の指導を受けて「ホトトギス」の代表俳人となり、「ホトトギス4S」(秋桜子・高野素十・阿波野青畝・山口誓子)の名付け人ともされる。30年から俳誌「夏草」を創刊主宰し、「雑草園」「乾燥花」などの句集のほか随筆集も多い。

 梅太郎さんは父が教える東京大の鉱物学専攻を卒業後、同大の教授として同じく鉱物学を講じた。その後、日本鉱業会会長などを歴任した。

 同園には「夕紅葉鯉は浮くまま人去りぬ」(82年10月建立)という句碑が残されている。青邨が50年11月に同園を訪れた際に詠んだ句で、庭の中央にある玉の池の水面に映る夕紅葉と行き交うコイの様子を情感的に表現している。句碑は夏草埼玉県支部によって建立された。

 同園を見学した梅太郎さんは「熊谷に句碑があることは知っていて、以前訪れた時は夕方で閉まっていたので、実物が見られて良かった」と感慨深げに話していた。

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