検閲が厳格なインド映画の“セクシー表現”に納得!『ラジュー出世する』は初々しいシャー・ルク・カーンのダンス&ソングに注目

『ラジュー出世する』

日本におけるインド映画の露払い的作品

『ラジュー出世する』(1992年)が日本で公開されたのは1997年5月17日。その時のキャッチコピーの一つが「インド大娯楽映画、42年ぶりのロードショー」だったのだが、正確には「43年ぶり」で、1954年に『アーン』(1950年)と『灼熱の決闘』(1951年)が公開されて以降、インドの娯楽映画は半世紀近く日本では公開されてこなかったのである。

その間は、1966年に公開されたサタジット・レイ監督作『大地のうた』(1955年)のような、アート系作品が2~3年に1本か2本、細々と公開されるだけ。1980年代末からインド娯楽映画のファンは徐々に増え始めるのだが、『ラジュー出世する』の公開はそのファンがベールを脱ぐ起点となった。

インド娯楽映画の優等生的作品

残念ながら、インド娯楽映画が日本で人気を得るには、翌1998年6月13日の『ムトゥ 踊るマハラジャ』(1995年)の公開まで待つ必要があったが、『ラジュー出世する』がヒットへの露払い的役割を果たしたのは間違いない。「インドでも映画を作っているの?」という反応も多かった時代だったので、公開されただけでもよしとしないといけないが、当時は『ラジュー出世する』の素晴らしさが十分に伝わらなかったように思う。

実は、『ラジュー出世する』は非常によくできた、インド娯楽映画の優等生的作品なのである。ここではストーリーを紹介し、その注目すべき点をいくつか挙げてみよう。

『ラジュー出世する』の注目ポイント解説

オープニングの舞台となるのは、東インドの高地にある町ダージリン。紅茶の産地として有名なところだ。ラジュー(シャー・ルク・カーン)は地元の大学を卒業し、建築技師として就職するのを夢見て、西インドの大都市ボンベイ(現ムンバイ)へやってくる。ところが、訪ねた知り合いは所在不明で、彼は途方に暮れることに。しかし、巧みな話術で人を集めて金を稼ぐ大道香具師(やし)ジャイ(ナーナー・パーテーカル)の所に下宿させてもらい、下町の人々の人情に触れるうちに、教師の娘レヌ(ジュヒー・チャーウラー)とも親しくなる。

なかなか就職が決まらないラジューだったが、レヌが勤務する建設会社の求人を紹介され、面接試験に見事合格、就職を決める。会社では、ラジューは社長の娘サプナー(アムリター・シン)に気に入られてとんとん拍子に出世していくが、その先には大きな落とし穴が待ち構えていた……。

この『ラジュー出世する』には元ネタがあって、インド映画界のキングと呼ばれたラージ・カプール監督・主演作、『詐欺師』(1955年)がベースになっている。大学を出たのに就職できない若者が都会に出てきて、貧しい人々に親切にしてもらうが、やがて悪の一味の手先となり、人々を騙す側に回る、という物語である。

ラージ・カプールは『ブラフマーストラ』(5月12日より公開中)の主演男優ランビール・カプールの祖父だが、『詐欺師』は『放浪者』(1951年)と並ぶ彼の代表作で、中国や当時のソ連など社会主義諸国でも大ヒットした作品である。『ラジュー~』では新たな登場人物ジャイを加え、狂言回しとコメンテーターの役割を担わせているのが効いている。これが第一の注目すべき点だ。

まるで『ウェスト・サイド物語』なソング&ダンス

第二の注目すべき点は、ミュージカル映画として正統派であろうとする心意気である。最初にインドで見た時には気がつかなかったのだが、その後インド版ビデオを買って何度か見直すうち、オープニング・タイトルのバックに流れる演奏曲には、主要な挿入歌2曲のメロディがフィーチャーされていることに気がついた。

主題歌と言うべき「ラージュー・バン・ガヤー・ジェントルマン(ラジューが出世した)」と、ラジューがレヌを口説くシーンの「カフティー・ハイ・ディル・キー・ラギー(心の中で君への愛がささやく)」という2曲が聞こえるシーンは、ハリウッド映画『ウェスト・サイド物語』(1961年)のオープニングを想起させる。歌が流れるシーンは全部で8カ所あるが、2カ所はBGMなのでソング&ダンスシーンは6カ所。お茶目だったり気取っていたり、さらにはエロティックだったりと、様々なシーンが見られる。

インド映画の「歌踊」はベッドシーンの代用!?

第三の注目点は、「インド映画のソング&ダンスシーンはベッドシーンの代替物」という論の証拠が見られることだ。インド映画は検閲が厳しく、特にセックス描写に関しては今世紀に入るまで相当厳格だったため、ベッドシーンは皆無と言っていい。それに代わるのがソング&ダンスシーンで、露出の大きい衣装、セクシーな暗喩を含む歌詞にセクシーな振り付け、特に腰を振るしぐさは赤面もの、という場面がしばしば見られた。そんなシーンと比べると『ラジュー出世する』の「♪心の中で君への愛がささやく」のシーンは上品なのだが、エロティックさでは負けていない。ベールや網、長い髪、そして風を使った、露出と遮蔽のせめぎ合いは、見ていて鳥肌が立つ。

さらに第四の注目点は、インド憲法に謳われた「セキュラリズム(世俗主義=特定の宗教に支配や干渉されないこと)」の理想が劇中で十分に表現されていることだ。ラジュー、レヌ、ジャイはヒンドゥー教徒だが、彼らの行きつけの茶店はムスリム(イスラーム教徒)の経営者とボーイが切り盛りしている。そこにやってくる客は、パン屋のジョゼフという名前でわかる通りのキリスト教徒。さらに念の入ったことに、ラジューが一時アルバイトする私設図書館の所有者はカーワスという名前で、格好からもパールシー教徒(ゾロアスター教徒)だとわかる。また、冒頭の歌「ディル・ハィ・メーラー・ディワーナー(僕の心は舞い上がってる)」では、チベット仏教の僧たちも出演している。出てこないのはシク教徒とジャイナ教徒ぐらいで、いろんな宗教の人がインドに仲良く暮らしていることが強調される。

シャー・ルク・カーン自身も甘く切なく思い返す作品

その上、もう一つ付け加えると、ラジューの就職が決まった時に町内総出で歌い踊る祝い歌「ラジューが出世した」は、「セキュラリズムの歌」と言ってもいいぐらいである。歌詞の1番が普通のポップス調とすると、2番はムスリムが聖者廟などで歌うイスラーム音楽カッワーリー風、その後にジャイのラップが入って、最後はゴアのポルトガル音楽風、という見事な三段活用である。21世紀になるまでのインド映画は、こういったセキュラリズム(世俗・現世主義/政教分離)の思想をさりげなく盛り込む作品が多かったのだ。

そして最後は、これがデビュー3作目となるシャー・ルク・カーンの初々しさ。それまでデリーでテレビ俳優として仕事をしていたシャー・ルクが、母の逝去を機にボンベイにやってきたのは1991年。同年に結婚もしたシャー・ルクだが、いくつかの映画から声がかかり、出演作が翌1992年に集中して、4本もの作品が封切られることになった。その中で本作『ラジュー出世する』は楽しい仕事だったらしく、後年、本作の監督アジーズ・ミルザーとシャー・ルク、ジュヒーは、3人で映画会社を設立する。今は消滅し、シャー・ルクと妻ゴウリーの会社に吸収されてしまったが、それほど息がぴったり合った3人の作品なのである。

2023年初めには、丸4年ぶりの主演作『Pathaan(パターン)』を大ヒットさせたシャー・ルク・カーン。『ブラフマーストラ』でもゲスト出演していたが、初々しさと共に彼の原点を確認できる『ラジュー出世する』は貴重である。

文:松岡 環

『ラジュー出世する』はCS映画専門チャンネル ムービープラス「特集:ハマる!インド映画」で2023年5~6月放送

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