江戸時代後期の僧で、全国を遊行しつつ多くの仏像を残した木喰(もくじき)(1718~1810年)が手がけた弘法大師像が、赤磐市内のお堂から見つかったと23日、同市教委が発表した。木喰は岡山に滞在した記録が残っており、過去にも調査が行われたが作品は未発見だった。市教委は「特有の温和な作風をよく表す優品で、県内で初めて確認できた貴重な例になる」としている。
木喰は山梨県生まれ。93歳で亡くなるまで各地を巡り、人々を病苦から救うため千体以上の仏像(木喰仏)を彫り、寺や神社に奉納した。現在も約620体が残っており、柔らかな笑みをたたえた造形は「微笑仏(みしょうぶつ)」とも称される。
弘法大師像は3月、赤磐市和田の古い大師堂を調査した同市山陽郷土資料館の田中愛弓学芸員が、厨子(ずし)内に安置されているのを発見。仏教美術に詳しい中田利枝子・元岡山県立美術館学芸課長が木喰仏と確認した。
木彫で高さは70センチ。伝統的な仏像とは異なり、穏やかな目や口の表情、全体に丸みを帯びた姿が特徴。保存状態も極めて良好で虫食いなどもない。
背面には墨書で「寛政十午年」(1798年)という制作年や自身の名前、「木食のけさや衣ハやふれても わが本願ハやぶれさりけり」との信条を詠んだ和歌を記している。木喰は天明7(87)年、寛政10(98)年の2回、岡山を訪れたとの記録を残しており、制作年と一致する。
2015年に県立美術館で木喰展を開いた際、中田さんは旅の記録をたどって県内を探したが一体も見つからなかった。「8年越しでの発見は感慨深い。大師堂は1788年に再建されており、それを知った木喰が奉納した可能性がある」。田中学芸員は「住民がお堂を大切に守ってきたことが発見につながった」と話した。
弘法大師像は24~31日(29日休館)、同資料館(同市下市)で一般公開する。