【新日本】<大張社長インタビュー①>逆境の中での成長と変革:新日本プロレスの3年間

コロナ禍が始まって3年間、プロレス界のリーディングカンパニーである新日本プロレスも会社経営という側面において困難な状況に直面した。

経営理念である世の中を勇気づける使命を再認識し、苦難に直面しながらもそれに対峙した結果、コロナ前の収益に迫る勢いを取り戻した新日本プロレス大張高己社長にロングインタビューを実施。

全3回の独占ロングインタビュー第1弾として、今回はコロナ禍の3年を振り返り、1.4東京ドーム「アントニオ猪木追悼大会」、歓声が戻ってきた現状について話を伺った。

コロナ禍3年を振り返って

--まだまだ収束したとは言い切れませんが、コロナが始まって3年苦しい状況が続いたと思います。振り返っていかがですか?

“プロレス”には、世の中を勇気づけるという使命があると思っています。これは、50周年を前に打ち立てた新日本プロレスの経営理念でもあります。コロナ禍では、その使命の再認識とともに、業界トップ企業といえども、現実問題として「中小企業」であることを痛切に感じ続けてきました。プロレスファンの皆様にとっては「なくては困る」、「あって当たり前」のものとしての期待感にお応えし続けながら、一方で、いかに選手と社員の生活を守るのか、悩み、試行錯誤し続けた3年間でした。

外部環境の変化に左右されやすいリスクの高い会社であるというのは経営する前から理解していたつもりですが、今回未曾有の困難を前にそれは痛烈に感じました。私が以前いた会社とは異なり、新日本プロレスには、定常的に収益を生める設備インフラはないんですよね。試合を止め、客足を止める性質を持ったコロナの猛烈な直風は、この事業を簡単に吹き飛ばしかねなかった。でもこっちだって、絶対勝つしかなかったんです。

※無観客で開催した『NEW JAPAN CUP 2020』 ©新日本プロレス

--なるほど。

よく聞きませんか?「試合は面白いから、いつかお客さんは戻ってくる」って言葉。無責任ですよね。経営責任を持つと、そんな楽観的なこと言っていられないし、赤字だろうが何だろうが、今月も来月も選手・社員へ給料を払わなければいけない。新日本50年の歴史の中で、コロナ禍での経営は誰も経験したことがないので、答えの有無さえ分からなくても、何をすべきか自分で考えるしかない。とにかく会社を生き延びさせなきゃ。試合を止めないために何でもしました。

©新日本プロレス

コロナ対策なら、検査やワクチンの手配もしました。社内ルールも作り、先日廃止したガイドラインも、得体のしれないウイルスからお客様や選手・関係者を守るために初版を一言一句書き上げたものでした。費用面では、社長就任後「冬支度」と称して様々なコスト削減を行いました。社長車を解約し、格安のオフィスビルへ引っ越し、全部の契約に相見積もりや価格交渉を課す、出張時は新幹線より安い格安航空を推奨するとか。もちろん、選手、社員にも待遇面で我慢してもらったり。

退職した社員も多数いましたが、補充は一切せず、みんなで力を合わせて頑張りました。振り返れば、ダブルドーム成功で絶好調のイケイケからの大ブレーキなので、ハード面もソフト面も急激な転換が必要で、金銭感覚から作り直す必要がありました。ただそこは小さな企業の利点で、経営が本気でやれば小回りが利く、一気に変化も起こせる。それを信じて、強烈な向かい風は吹くけど、立ち位置を変えて、その中に微量に含まれる「追い風成分」を見極めながら、一点突破でその領域ではコロナ禍を逆手に思い切り成長するという方針でやってきましたね。結果として、3年間でそれが実を結んできました。6月で終わる今期は、新日本プロレス歴代2番目の売上になると思います。

--新日本プロレスの歴史を振り返っても厳しい期間が長く続きました。

長かったですね。私は売上を会場の中と外で分けて見るようにしています。コロナ禍だから特に。会場内売上はチケットと物販のことで、動員減で一時期6割減までいったんですよ。直近1年でも、まだ4割減くらい…。6割までしか戻ってきてないんですね。これ、従来の事業のポートフォリオのままだったら、大打撃どころか、数か月で会社が絶えてると思います。大半が会場内収益に依存していましたから。あるとき棚橋選手から、「社長、この状態が続いたら、この会社、あと何か月持ちますか?」って聞かれたんですよ。そのとき、片手で数えちゃいましたからね。笑顔で「大丈夫」って答えながら。

--恐ろしいですね。

本当に恐ろしかった。だから知恵を絞らなきゃいけなかったし、「STAY HOME」ってもう死語になりつつあるけど、お客様が会場に来なかったらどこにいるんだ、何をしているんだ、その方たちはどうやってプロレスを楽しむんだ、新規のファンにどう届けるんだ、というのを突き詰めて考えて、新事業を考える、変える、新たな接点を作る。環境が変わったんで、答えが変わるんですよ。今まで50年で蓄積されたものが通用しないどころか、この間まで賞賛されていたことが、同じことをやっていたら害になることも多数で。

日本電産(現:ニデック)の創業者である永守会長の言葉に「ピンチがチャンスを連れてくる」という主旨の言葉があるんですが、まさにその言葉を信じて、ピンチの裏には絶対チャンスがあると確信してやってきました。実はこのたった3年間で、会場外の事業と番組などのメディア露出は、ものすごく強化できたんですよ。よくコロナが10年分の変化をもたらしたと言われますけど、まさに新日本プロレスの10年分ぐらいの変化をこの3年で果たしています。不安の中でも、変化を怖がらず皆で一丸となって取り組んだ成果です。

▼バラバラ大選挙で新日ちゃんぴおん!が優勝

--プロレス界のリーディングカンパニーとして、プロレス界を支えるといった立場としても絶対に負けられない戦いでしたよね。

私もファンだったから「プロレスがなくなったら生きていけない」という思いはあって。同じように思ってくださるお客様の気持ちには応えなくてはいけないと思いましたね。事業構造としては、コロナでもサバイバルでき、コロナが明けたら急成長できる体質にガラッと変えることが出来ました。コロナ前は、会場内売上が2/3くらいでしたが、直近だと逆に会場外売上が大半を占めるところまで急成長しています。そうしなくては絶対に生き延びられなかった。

--チェンジすることが求められたんですね。

会場内売上は恐ろしいことに2ケタ億円落ちたんですけど、会場外のビジネスで、その7~8割くらいはカバーできるところまで来ています。前述の通りで、売上規模で見れば、6月で終わる今期は50年の歴史の中で、おそらく2番目の規模になると思います。ただ、チケット収益というのは固定費ビジネスで、それをカバーした後は、ほぼ全て利益になるわけですよね。動員減というのはその一番利益が出る部分だけがごっそり抜けてしまうわけで、利益面でいうと、やっと黒字化に手が届くというレベルです。

--でも少しずつ会場に足が戻ってきてますよね。大会の動員数も少しずつ上がってきてるので、復活の足掛かりは見えてきてるのでしゃないでしょうか?

そうですね、明らかに戻ってきています。それは会場やSNSで感じます。自分が足を運ぶ大会は、なるべくお客様の出入りの際にご挨拶させていただくようにしてるんですけど、「3年ぶりに来ました」とか「初めて来ました」とお声がけいただいて。もう、ウルウルですよ。戻ってこられる方もいるし、コロナ禍に好きになっていただいて初めて来てくださる方もいる。ただ、以前はビックマッチは必ず行く、地元開催は必ず行く。その間の動きはワールド(新日本プロレス公式動画配信サービス)で追うといった方が多かったのが、コロナ禍で逆になってしまって。プロレスは配信のみで見るものになってしまった部分がありました。

--家で見るということが主体になってきたということですね。

でも、ワールドの配信を通じて、ずっと近くで見守っていて下さった。そしてまた前のように会場に戻ってきてくれたり、初めて来てくれたり。声援が戻り、選手との呼吸というか掛け合いができるという自分の声が選手に届くというのは、配信じゃできないことですよね。時折選手が反応してくれたり、大勢のお客様の声で立ち上がったり…。ブーイングだって自由にできる。プロレスの選手ではないけど、自分自身が試合の当事者になれるというのは、やはり会場でしか感じられない貴重な体験だし、その価値を再発見していただけたかと思います。

ご来場いただく人数はまだまだ伸ばしていかないといけないですが、声援も取り戻せたことで、雰囲気がガラッと変わって、ハッピーな空間を作れるようになりましたよね。1.4ドームの声出し可能をお伝えした会見でも言いましたが、声出しが大きなトリガーになり、本来の新日本プロレスの形に戻ってきています。

--声援があるのとないのでは、本当に会場の空気が違いますよね。それによって感情の揺さぶりも違いますし。来場習慣と配信視聴習慣が逆転してしまったというのは、とても興味深かったです。

アメリカの市場だと、スポーツの放映権料って数十億、数百億が当たり前に動くじゃないですか。家で見られる、スマホやPCで見られるという、プロレスは視聴するものだというビジネスがあちらでは充分に成り立つんです。WWE だと一時期観客がモニターだけというときもありましたし。でも日本は元からそういう環境ではない。だから我々は世界のプロレスの動向も見つつ、ガラパゴスかもしれないですが、この日本に主軸を置く企業として、動員減という環境に適応していかないといけなかったんです。

回復傾向にあるとはいえ、それをただ待つのではなく、伸びやすい追い風が吹くところにも注力する。先ほどお客様のハッピーな空間の話をしましたけど、来年度には社内もハッピーになるように…。弊社の来年度は7月からですが、会場外の活況に加え、沢山のお客様が会場にいらっしゃれば、過去最高の事業規模となるので。何よりも皆様に喜んで帰って頂ける大会運営が肝になります。

--これからG1 CLIMAXも始まりますし、起爆剤となる要因はありますよね。

©新日本プロレス

みなさん、G1、G1って言いますよね。でも僕はBEST OF THE SUPER Jr.、ジュニアの闘いに注目しています。あくまで個人的な主観ですけど、日本独自だなと思うんですよね。あれだけレベルの高い選手がジュニアという確立したブランドのもとに集結し、その中で闘うというのは。クルーザー級のタイトルとかは海外であったりもしますけど、ジュニアの大会、それも毎年恒例というのは、世界的に多くはないと思うんですよね。

©新日本プロレス

--しかもシリーズですしね。

だからそれは大事にしたいし、G1と同じレベルのシリーズ、つまり新日本プロレスが世界に誇る2大シリーズとしてブランドを確立したいんです。まずはこのBEST OF THE SUPER Jr.が盛り上がって、次に真夏のG1…というのが理想ですよね。今回、優勝旗を作ったんですが、形式的に見ても、G1に劣る点はなくしていきたいと思っています。

©新日本プロレス

BEST OF THE SUPER Jr.30
5月26日(金)
東京・国立代々木競技場第二体育館にて準決勝
5月28日(日)
東京・大田区総合体育館にて優勝決定戦
▼大会詳細は公式サイトにて

➡次ページ(1.4東京ドーム大会「アントニオ猪木追悼大会」)へ続く

②1.4東京ドーム大会「アントニオ猪木追悼大会」を振り返って

--今年の1.4はアントニオ猪木さんの追悼大会でした。こちら振り返っていかがですか?

猪木さんの訃報を聞いたのは、イギリス大会で現地に着いた夜。その翌日に会場で1.4を猪木さん追悼大会にしようと決めたんですよ。シンニチイズムをやろう、猪木さんフォーカスでやろう!と決めて。このとき、猪木さんの導きがすごくあったんだなと思っていて。訃報を聞いたのはイギリスの地、それも試合前日。イギリスには10カウントゴングの風習はないし、猪木さんの映像も手配できるか分からないし…。

でもこの時、いくつも奇跡が起きて。まず新日本の意思決定者である私と菅林、そしてオーナーである木谷まで、全員がイギリスにいたんですよ。そしてテレビ朝日さんのロンドン支局の方もとんできてくれて。現地のリングアナに10カウントゴングを急いでレクチャーして、テレビ朝日さんのおかげで現地の取材体制も手配でき、イギリスで10カウントゴングをやることが出来たんですよね。そして、日本の報道番組でその模様を放送してもらえた。

©新日本プロレス

--それは奇跡ですね。

10カウントゴングも初めてだったはずのお客様からも大「INOKI」コールが起きて、みんなが一斉に立ち上がって、映画のワンシーンのようでしたね。ファンのとき、リング上で猪木さんがマイクを持つと「いよいよ新日本プロレスが世界に羽ばたく年になります!」と常におっしゃっていました。まさにそれが体現できている場所での10カウントで、感極まりました。そして1月の決め事はほぼタイムリミットだったんです。イベントやろうとか、追悼大会にしたいとか…。意思決定者全員がその場に集まって即決できたというのは、どこか猪木さんの導きがあったのではと思わざるを得ない状況でした。

©新日本プロレス

--当日を迎えての心境は?

ゴングが鳴れば選手の仕事、逆に裏方の仕事はそこまでなので、事前の準備の方が私の本番です。どうしても猪木さんを制限のない会場で、沢山のお客様の声でお見送りしてもらいたいと思ったんです。「1、2、3ダー」や、特大の「猪木コール」をしてほしいと思って。だからその時の一番のミッションは、動員制限なしで声出しが出来るようにするということで、一歩も譲らない覚悟で関係省庁と交渉しました。

--制限なしの声出し、1.4という新日本最大の大会で猪木さんをお見送りできたというのは、ファンにとっても特別な大会でした。

猪木さんには夏の段階で終身名誉会長になってもらうことが決定していて、9月に契約を結んだのかな。本当ならご存命の猪木さんがあのリングに来られて、ダーをしていただくのが理想だったんですけど、それが叶わなかったので満員の会場でダー、または猪木コールをやりたかった。結果満員にはなりませんでしたけど、昨年の1.4の倍以上の方にご来場いただきました。参戦選手全員が、それぞれの闘魂を燃やして闘ってくれたと思います。

あとは、ケニー・オメガ選手も久しぶりに参戦してくれたり。プロレス界をけん引してきた猪木さんの最後にふさわしい大会になったと思います。オカダ・カズチカ選手もそこでタイトルを獲って。私個人の印象ですが、最後のマイクに至るまで、まるで猪木さんが乗り移ったかのようでした。

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歓声が戻ってきた現状

--歓声が戻ってきたわけですが、今のこの状況はいかがですか?

会見で言った通り、プロレスはもちろん選手の闘いありきですけど、それに呼応する形で声援があって、それが選手の刺激となりさらに会場が盛り上がる。来場して得られる喜びって、そこで完成すると思うんですよ。チケット代を超える喜びと満足度を得てもらう。長期間にわたり、大きな両輪となる片輪が抜けていたんですよね。声援もブーイングもできなくてモヤモヤして帰宅されるケースも少なくなかったと思います。歓声がない時代、決して「歓声がないプロレスは本来よりもつまらない」という主旨の発言はしないようにしていましたが、本心は歯痒かったですね。

--それはそうですね。

あとは私生活の変化がプロレスの見方を変化させました。例えば、仮に戦時中なら、好んで戦争映画を見る人は少ないですよ。安定したハッピーな私生活があるから、そういった映画やホラー映画などを見て楽しめる。リング上では、推しの選手が勝ったり負けたりして、その勝ち方、負け方も様々。かつては、満足度の高い試合もそうでない試合も、感情を揺さぶる「幅」や「溜め」として消化して下さっていたんですよね。お客様の感情に多くの弾力があった。

でも私生活もコロナ禍でアンハッピーな状況下だと、これまでと同じ試合をしても満足してもらえる場面や、弾力で今後につながる許容度が変わるわけです。更に歓声禁止なら、なおさらです。私はリング上で戦ったことが無いので、また棚橋選手の言葉を借りますが、本来プロレスは「プレイ・バイ・イヤー(Play by Ear)」のスポーツなので、無観客や無歓声の環境は、レスラーにとっては逆にお客様の熱狂を引き出す手段、技量を磨ける良いチャンスだという話を聞いたことがあります。

もちろんお客様側のライブスポーツへの渇望感ゆえに、このところ一気にお客様の満足度が増しているという側面もあると思いますが、選手側もこのコロナ禍を通じて身につけたものを発揮しているからこそ、会場内はコロナ前を大きく上回る熱気になっているのだと思います。会社の体質だけでなく、選手たちも一回りも二回りもレベルアップしてくれたんじゃないかなと思います。

--やはり歓声があるとないとでは大きく違いますよね。歓声のパワーを本当に感じました。やはり歓声がない時代、選手もいろいろ工夫されてました。

リング内でもそうですけど、リング外での発信を磨いた選手も多いんじゃないですかね。例えばオーカーン選手はコロナ禍で現れて、発信面も乗りに乗っている。例えば、お決まりの文句をリングで言いますよね、ノーマイクで。普通なら歓声でかき消されちゃうし、でもマイク取りに行ってたら冷めちゃったのかなと思うんですよね。

これは、あの時期発ならではの部分じゃないかなと思います。そういうものが幾重にも重なって。苦しかったけど、いいところを見るとすると、3年間コロナがなかったなら得られなかったものは非常に多いと。ま、今だから言ってますけどね。

インタビュアー:山口義徳(プロレスTODAY総監督)

**▼第2弾と第3弾はこちら
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