1599年の「聖香油ミサ」で使用? 長崎・樫山 かくれキリシタン伝承のつぼ 東大准教授が指摘

かくれキリシタンに伝承されてきたつぼの調査報告会=長崎市役所

 長崎県は21日、長崎市樫山町の「かくれキリシタン」に伝わっていた「華南三彩壺(つぼ)」について、調査報告会を開いた。東京大史料編纂所の岡美穂子准教授は、約400年前に天草で行われた国内初の「聖香油ミサ」や当時活躍したキリシタン画家との関連を指摘した。
 長崎県の調査によると、つぼ(高さ25センチ、底の直径約15センチ)は16世紀末から17世紀初めに中国で作られ、船で日本に運ばれた。つぼの底には古いスペイン語やポルトガル語で「香油」を意味する「Escencia」(エッセンシア)の墨字が残っていた。樫山のかくれキリシタンは「難破したどこかの国の船から天草の海岸に漂着した」と言い伝えていた。
 岡准教授によると、カトリックのミサなど儀式で使う「聖香油」は司教だけが作ることができる。つぼの伝来時の日本司教セルケイラは1599年4月、天草・志岐で、国内で初めて聖香油を作るミサを行った。岡准教授は、このミサのほか、キリシタン大名小西行長が「堅信の秘跡」を受けた同年10月の儀式でも、つぼが使われた可能性があると報告した。
 底に記されたアルファベットの文字が、「地球儀を手に持つキリスト像」を描いたキリシタン画家、丹羽ヤコブの署名とよく似ていると指摘。イエズス会の画学舎は志岐にあったため、岡准教授は「つぼの文字は丹羽ヤコブが書いた可能性がある」と推測した。
 長崎県は報告会に伴いつぼを公開。報告会には77人が参加した。

© 株式会社長崎新聞社