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2023年1月、エジプトのカイロでおよそ4300年前のものとみられるミイラが発見されました。
ミイラは全身を金箔で覆われており、ほぼ完璧といえる状態だったそうです。
ミイラというと、何となく「怖いもの」というイメージを持つ方も多いかもしれません。
しかしミイラは古代エジプト人の死生観の象徴であり、貴重な歴史的資料です。
ミイラを知ることで、古代エジプト人が「死後」をどのように考えていたのかが理解できるかもしれません。
この記事では、ミイラの詳細やミイラが作られた理由、副葬品をご紹介します。
ミイラとはどんなもの?
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ミイラというと、ゲームやアニメなどおなじみの「包帯をぐるぐるにまいたモンスター」を想像する方も多いかもしれません。
そもそもミイラとは、どのようなものを指すのでしょうか?
死後、腐敗せずに残った体のこと
ミイラとは、生前の姿形を残した、動物や人間の遺体です。エジプトのミイラが有名ですが、南米やヨーロッパでもさまざまなミイラが見つかっています。
通常、人や動物が死ぬと腐敗が進み、体が残ることはありません。現在ミイラとして残っているものの多くは、腐敗が進まないよう特別な処理が施されています。
人の手によって加工されたミイラのうちで最も古いのは、南米・チリのチンチョーロ文化遺跡で見つかった、約7000年前のミイラです。
チンチョーロ文化では、亡くなった人は身分に関係なくミイラとされました。
ミイラにすることが神聖な儀式だったと見られており、大人から子どもまで多数のミイラが見つかっています。
チンチョーロ文化の集落と人工ミイラの技術は、2021年にユネスコの世界遺産に登録されました。
語源はポルトガル語の「ミルラ」
「ミイラ」の語源は、ポルトガル語の「mirra(ミルラ)」です。
ミルラは製油の一種として知られており、日本では「没薬(もつやく)」と呼ばれます。
カンラン科の低木の樹脂から採取され、スモーキーな中にも甘さがある複雑な香りを持つのが特徴です。
ミルラには防腐効果があると考えられており、エジプトではミイラ作りの防腐処理に使われました。
このことから腐敗処理を施した遺体そのものを「ミルラ」と呼ぶようになり、「ミイラ」に転訛したと考えられています。
ミルラは、中国・唐の時代には傷薬として使われていたそうです。
ただし日本に伝わったのはもっと後で、ポルトガルやオランダとの交易が盛んになった江戸時代だといわれています。
ミイラの作り方
人間や動物の体をミイラにするためには、水分量を50%以下にすることが必要です。
ミイラを作るときは、体の中をからっぽにして水分を残さないよう処理されました。
そもそも古代エジプトでは、ミイラを作る技術は非常に神聖なもの。
ミイラを作れる人は限定されており、製法も厳密に決まっていました。
ミイラの作り方はトップシークレットとされていたようで、パピルスなどの記録にもあまり残っていません。
1体のミイラを作るまでには、およそ70日間を要したそうです。
ミイラ取りがミイラになるは間違い?
日本のことわざで「ミイラ取りがミイラになる」というものがあります。
これは説得しようとした相手に逆に説得されてしまうことを指します。
その語源は、ミイラ(ミルラ)を採取しに行った人が、厳しい砂漠などで息絶えてミイラになることとされています。
ここまで読んだ方はお気づきでしょう。
人はただ死んだだけではミイラにはなりません。
いろいろな処理が施されてミイラになるのです。
ですので、ミイラ取りがミイラになるというのは厳密には間違っているのです。
機会があれば知識を披露してみてくださいね。
ミイラが作られた理由とは
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ミイラが作られたことには、どのような理由があるのでしょうか?
ミイラが作られた背景について紹介します。
死者の国で暮らすため
古代エジプトでミイラが作られたのは、死者の国で生き続けるためには肉体が必要だと考えられたためです。
古代エジプトの人々は、人が亡くなるとオシリス神(死を司る神)がいる「イアルの野」(死者の国)に行くと考えていました。
しかし亡くなった人が永遠にそこで暮らすためには、魂を入れる入れ物も必要です。
死者がイアルの野で安息に暮らせるよう、人々は遺体に腐敗処理を施して永遠に姿を留めようとしました。
その他の地域の理由はさまざま
エジプトと同様に死者をミイラにしていたのが、南米・ペルー周辺で栄えたインカ帝国(15~16世紀初頭)です。
インカ帝国では、亡くなった人は一族を保護する存在になると考えられていました。
そのため人が亡くなると、ミイラとして保存されていたのです。
またインカ帝国における皇帝は、神と等しい存在でした。皇帝が亡くなった場合はミイラにされ、そのまま神殿に祀られていたといいます。
このほかエクアドルやニューギニアでも、ミイラを作る風習があります。
ただしこちらは死者の復活を願うわけではなく、根底にあるのは「死者への恐れ」です。
亡くなった人が生きている人を襲ってこないよう、ミイラにしていたのだそうですよ。
日本のミイラのケース
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日本のミイラとして有名なのが、中尊寺金色堂に安置されている4体のミイラです。
これらは11~12世紀に奥州(岩手県)で勢力をふるった藤原氏のミイラで、初代・藤原清衡(ふじわらのきよひら)、2代目・基衡(もとひら)、3代目・秀衡(ひでひら)、4代目・泰衡(やすひら:首のみ)のものとみられています。
藤原氏のミイラは、「自然にミイラ化した」「何らかの処理が施された」という2つの見方があり、専門家の間でも意見が分かれていました。
しかし近年の研究により、環境や地理的な条件がそろい、たまたまミイラ化したのではないかといわれています。
エジプトのミイラの副葬品を紹介
エジプトのミイラの棺には、さまざまな副葬品が入れられました。
これまでに見つかっている副葬品から、主なものをご紹介します。
カノポス壺
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古代エジプトの人々は、ミイラを作るときに取り出した内臓を「カノポス壺」と呼ばれる容器に収めていました。
壺は守護精霊によって保護されており、数は必ず4つです。
黒犬の頭の壺:胃
ヒヒの頭の壺:肺
ハヤブサの頭の壺:腸
人間の頭の容器:肝臓
※諸説あります。
なお心臓を入れる壺はありません。
心臓は、ミイラの体にそのまま残されたためです。
古代エジプトの人々は、心臓に魂が宿ると考えていました。
亡くなった人が死者の国に行くためには、心臓を取り除くわけにはいかなかったのです。
黄金の舌
2021年に見つかった第26王朝時代(紀元前664~前525年)の3体のミイラは、黄金の舌を付けていました。
これは、ミイラとなった人が死者の国の主である「オシリス神」とスムーズに話せるようにとの願いからではないかといわれています。
古代エジプトでは、亡くなった人が死者の国に入る際、オシリス神の審判を受けると信じられていました。
ミイラに黄金の舌を付けることにより、その人が裁判で生前の行いを弁明しやすくなると信じられていたのでしょう。
死者の書
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死者の書は、ミイラとともに棺に入れられた葬祭文書です。
中には、死者の国でオシリス神の裁判を受けるときに口にすべきこと・死者の国で注意することなどが記されています。
葬儀の際に神官がこれらを読み上げ、そのまま棺に入れていたそうです。
死者の書はプライベートなものであり、呪文の内容はその人によって異なります。
紀元前950年から前930年頃に活躍したといわれる女性神官・ネシタネベトイシェルウの死者の書は、全長約37mもあったのだとか。
現在発見されている死者の書の中では、最長のものです。
スカラベ
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スカラベとは、「タマオシコガネ」という昆虫です。「フンコロガシ」といった方が、よりなじみがあるかもしれません。
フンコロガシは動物の糞を転がして巣に運ぶことから、太陽を運ぶ太陽神「ケプラ神」の化身であると考えられました。
古代エジプトでは再生と復活の象徴と見なされ、ミイラの棺には必ずといってよいほどスカラベをかたどった装飾品が入れられています。
なおスカラベを置く位置は、ミイラにとって最も重要な心臓の上が基本です。
胸部の包帯に縫い付けるため、穴のあいたスカラベも多数見つかっています。
まとめ
古代エジプトのミイラには、当時の人々の復活と再生への願いが込められています。 副葬品などは当時の社会を知る上での有力な手掛かりともなり、その価値は計りしれません。 ミイラについて知識を深めると、古代エジプトという時代がより一層身近に感じられます。 ただし、時代や文化は違っても、ミイラは「かつて生きていた人」です。 ミイラを目にする機会があったとしても、「こわい」「気持ち悪い」などと言うのは控えましょう。 ミイラを見るときは、相手を悼む気持ちを忘れないようにしてくださいね。 文/カワサキカオリ