【読書亡羊】必読、対中国「政治戦」の教科書を見逃すな! ケリー・K・ガーシャネック著、鬼塚隆志監修、壁村正照訳『中国の政治戦 -「戦わずして勝とう」とする国への対抗戦略』(五月書房新社) その昔、読書にかまけて羊を逃がしたものがいるという。転じて「読書亡羊」は「重要なことを忘れて、他のことに夢中になること」を指す四字熟語になった。だが時に仕事を放り出してでも、読むべき本がある。元月刊『Hanada』編集部員のライター・梶原がお送りする週末書評!

「戦わずして勝つ」国の戦略

文章生成AIであるChatGPTに注目が集まっている。

うまく指示を出せば、人間が書いたのと見分けがつかないほど流暢な文章を出力してくれる性能の高さに、期待と同時に懸念も生じている。

安全保障に関する分野で言えば、フェイクニュース記事の量産が思いつくところだが、「中国版ChatGPT」が登場し、世の中に浸透するとなれば、さらにややこしい事態が生じる。

「中国版ChatGPT」は当然のことながら、中国共産党体制に対する否定的な文章を生成することはない。そうと知らず使っているうちに、ユーザーはいつの間にか中国に都合の良い情報ばかりを吸収することになりかねないのだ。まさに、プロパガンダ発生装置を自分の端末に呼び込んでしまうことになる。

中国の安全保障機関と結びつきの強い中国企業・テンセントがさっそく「中国版ChatGPT」の開発に着手しているが、当然、開発目的は企業としての営利だけでなく、中国という国家そのものの利益に資することになるだろう。

ケリー・K・ガーシャネック著、鬼塚隆志監修、壁村正照訳『中国の政治戦――「戦わずして勝とう」とする国への対抗戦略』(五月書房新社)を読んで、その意を強くした。

本書は、元米海兵隊将校でCSISの広報部長を務めたほか、台湾やオーストラリアの大学やタイの兵学校でも安全保障関係の教鞭を取るケリー・K・ガーシャネックが、中国の浸透工作や世論工作を「政治戦」というくくりで徹底的に調査・研究した成果をまとめたものだ。

その「政治戦」には当然、SNSやアプリなども含まれる。「中国版ChatGPT」が席巻する悪夢は、もうすぐそこまで迫っているのだ。

「目に見えぬ侵略」東アジア版

対オーストラリアや対EUに関しては月刊『Hanada』本誌でもおなじみ、クライブ・ハミルトンの『目に見えぬ侵略』『見えない手』(飛鳥新社)があるが、本書も、タイや台湾で展開された「中国による目に見えぬ侵略」を詳細に、具体的に明らかにする。

そして驚くべきことに、冷戦後のアメリカがすっかり「政治戦」能力を失ったことをも嘆いている。

海兵隊員時代に防諜将校として中国やソ連が手がけた政治戦を研究してきたというガーシャネック氏だが、中国が依然として政治戦を展開している中、アメリカはすっかり政治戦の観点を失っただけでなく、近年まで「中国はパートナーである」との考えがあらゆる階層に浸透していた、と述べる。

その影響はあまりに大きく、ガーシャネック氏は「はじめに」でこんなエピソードを紹介している。

2016年、ガーシャネック氏はバンコクの米大使館で米国下院のスタッフ代表団に「中国の対タイ政治戦」についての解説を行った。その内容は本書の第五章、第六章に詳しいのだが、中国系のタイ市民を伝っての政界への浸透や、莫大な資本の投下、「西洋の理想への抵抗」を煽るなどの手法だったという。そしてその目的は、タイが中国の台頭を支持するとともに、タイと米国との同盟関係を完全に破壊することにあった。

しかしこうした内容を話し始めて10分後、米大使館の外交官たちが動揺し始め、涙目になり、25分後にはヒステリーを起こし、代表団を退去させようとし始めたのだという。講演が「あまりに中国に厳しい」内容だったためにそうした事態に至ったというが、アメリカの外交官がこんな状況では、中国にやられ放題になってしまうだろう。

〈もし我々が、中国の全体主義的な支配と、国家を分裂させ破壊する計画に挑戦しなければ、我々は危険な未来に直面することになる。もしそうしなければ、私たちの子供やその子供たちが、私たちの重大な怠惰の代償を払うことになるであろう〉

そう警鐘を鳴らすのも無理はない。

アプリやSNSが中国の工作を加速させる

とにかく読み始めると、全ページに付箋を貼る羽目になってしまうのだが、特に印象的だった部分を紹介したい。

まずは中国の目的だ。「中国にとって都合の良い世論をその国に作り出す」「アメリカとの関係に楔を打ち込み分断を図る」というのは言うまでもないが、恐ろしいのは「いつの間にかそうなっている」ように工作を仕掛けることだ。

〈重要なのは……言われなくても自分の意志で中国が望むことをするように考えてほしいのだ。これは心理操作の一形態である〉

ハミルトン氏も指摘していたことだが、こうした「心理操作」に有効なのが「中国批判は人種差別だ」と置き換える手法だ。「開明的な」アメリカの外交官たちが中国批判の講演を聞いてヒステリーを起こしかけたのも、この要素があったからだろう。

特に2012年から始まった習近平時代は、SNSやソーシャルメディアの発達と重なっている。それまではもっぱら学者や政治家など発言力のある人間に取り入って中国に都合の良い言説を拡散させていたが、ウェブを通じて他国の世論に直に影響を与えられるようになった。

もちろん、中国のネット工作の影響力は限定的で、本書ではタイにおける中国のネット工作は「投稿が稚拙で子供じみた言葉遣い」のため、さほどの影響力はないと分析されている。

しかし、元々存在する分断を刺激することはできるだろうし、それこそChatGPTを使えば言語的に不自然でない投稿をすることも可能になる。

「中国版ChatGPT」の脅威

第八章では、中国による対台湾の政治戦が分析されているが、やはりソーシャルメディア環境における脅威は無視できない。すでに中国のウェブアプリであるWeChatは台湾に浸透しており、多くのユーザーを獲得している。アプリを通じて反体制者を追跡し、中国共産党の世界観に都合の悪いコメントやリンクを検閲しているという。

さらに本書によれば、2020年3月までにWeChatはコロナウイルスに関する500以上のキーワードをブラックリスト化し、コロナ用のプロパガンダキャンペーンを支援していたという。

その影響はスマホを飛び出し、WeChatを通じて中国国内外の中国人を動員し、米国やカナダなどの街頭や大学での抗議活動での動員を促しているといい、「こうした機能が台湾で使われること」についての懸念を示してもいる。

既に中国系企業が提供するアプリTicTokが個人情報を抜いていたことは広く知られている。「中国版ChatGPT」も、当然のことながら中国共産党体制を利することになるだろう。

「実用的」な対中戦略の指南書

本書は政治戦を海兵隊将校として実践的に学んできた筆者が書いただけあって、内容も現状報告や分析にとどまらず、実に「実用的」なものになっている。

特に付録として巻末に収録されている「対中国戦5日間課程のカリキュラム」は興味深い。あくまでも入門の入門としてではあるが、中国の政治戦に対抗するために、どういった内容を、誰にどの程度学ばせるべきか、その具体的な時間割まで掲載されているのだ。

〈米国をはじめとする多くの民主主義国家は、中国の政治戦に立ち向かい、打ち負かす準備ができておらず……中国の覇権に反対する米国や他の国々では、国家安全保障の専門家だけでなく、政府関係者全体に脅威とそれに対抗する方法を教える体系的な教育プログラムを開始することが不可欠である〉

ぜひ日本向け、それも政治家だけでなく、メディアや一般向けにもこうしたプログラムを公開してもらいたい。

まずは、本書をまさに教科書として、「中国の政治戦」に対する知識を高めておきたいところだ。

梶原麻衣子 | Hanadaプラス

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