強制送還の恐怖に脅えて──レバノンのシリア難民 医療を受けることも難しく

レバノン北部の町アルサル Ⓒ Carmen Yahchouchi

現在100万人を超えるシリア難民を受け入れている、隣国レバノン。最近レバノン政府は数千人の難民に対し、本国への送還計画を開始した。すでに270人以上の難民が強制送還されており、その中には両親のいない子どもや女性も含まれている。※ そのような状況の下、レバノンで暮らすシリア難民は強制送還や移動制限により、必要な医療を受けることがますます困難になっている。国境なき医師団(MSF)とそのパートナー団体は、難民に対する差別的な言動によって状況が悪化し、安全が脅かされ、恐ろしい環境が生まれている現実を患者から聞いている。

病院への搬送も恐れ

威圧的な雰囲気の中、多くの難民が安全な家から出ることを恐れ、必要な医療すら受けることができなくなっている。MSFが10年以上にわたって活動してきた、レバノン北部、シリア国境に近い孤立した町アルサルの状況は特に深刻だ。

「みんなストレスを感じて家に閉じこもり、怖くて動けません。誰もが日用品の買い出しに行く勇気すら出ないのです」。アルサルにあるMSFの診療所で9年前から糖尿病の治療を受けているシリア難民のファルハートさん(75歳)はそう話す。ファルハートさんは当局に逮捕され、レバノンから強制送還されることを恐れているのだ。

捕まって屈辱的な思いをさせられ、強制的に国外追放されるのではないか……。そう思うと不安でたまりません

同じことを心配する人は他にもたくさんいるとファルハートさんは付け加えた。

この2週間、予約時間になっても診療所に現れない人が増えている。これは、患者が医療施設への道に設けられた検問所を通る時、強制送還される事態を恐れているためだと言われている。

また、MSFは、人びとを取り巻く恐ろしげな雰囲気は、病院への緊急医療搬送にすら影響を及ぼしていると指摘する。MSFの活動責任者を務めるマルセロ・フェルナンデス医師は「滞在許可証を持っていないため強制送還を恐れ、救急医療が必要な状況にもかかわらず、病院への搬送を拒否した患者がいたほどです」と話す。

健康を犠牲にしてはならない

近年、レバノンでは難民に対する政策や規制が厳しくなり、多くのシリア人が車やバイクを没収されている。経済危機によりタクシーや公共交通機関の料金が高騰した後、レバノンに住む多くのシリア人にとって車やバイクは唯一残された交通手段だった。

マフムードさん(56歳)は、自宅から5キロメートル離れたアルサルにあるMSFの診療所で糖尿病の治療を受けている。現在、マフムードさんのように、健診や薬の受け取りのため診療所に来ることにすら苦労している患者は大勢いる。

以前はバイクを頼りに診療所に通っていましたが、最近の規制でバイクは使用禁止になりました。現在は歩いて通っています

アルサルの住民の多くは貧困にあえぐ一方、地域の生活インフラは限られている。レバノン人住民も難民も、町の内外を問わず、水道から電気、燃料、食料、医療などを利用する上で大きな困難に直面している。

「車両の没収により、多くの弱い立場にある人びとが頼りにできる移動手段を失っています。この措置は、既に雇用や移動の自由を制限された個人が直面する課題を悪化させ、必須医療ですらも手の届かないものにしているのです」とマルセロ・フェルナンデス医師は言葉を強め、こう続けた。

人びとの健康を犠牲にするような行為はあってはなりません。社会から疎外された全ての人が、適切なタイミングで医療を受ける権利を、平等に持っているのです。国籍や社会的地位は関係ありません

※患者のプライバシー保護のため、仮名を使用しています。

レバノンでのMSFの活動

MSFは1976年からレバノンで活動を開始。2008年以降、中断することなくレバノンで活動を続けている。

現在はレバノン国内の7カ所で活動し、レバノン国民、難民、移民労働者など、弱い立場にある人びとに無償で医療を提供。心のケア、リプロダクティブ・ヘルスケア(性と生殖に関する医療)、小児医療、予防接種、糖尿病などの非感染性疾患の治療を担い、人びとの健康を支えている。レバノンでは700人余りのスタッフが活動し、毎年約15万件の診療に対応している。

レバノンの難民キャンプでコレラワクチンの予防接種を実施=2022年11月 © MSF/Mohamad Cheblak

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