62年前に米から返還の鐘、横須賀で鐘楼仮設し式典 住民や米兵らが鳴らす  

仮設の鐘楼につるされた鐘と逸見住職、ラティ米海軍少将ら=30日、横須賀市の浄土寺

 78年ぶりに鐘の音が帰ってきた。太平洋戦争の金属回収で供出され、戦後、戦利品として米国に渡った横須賀市西逸見町の浄土寺の鐘。日本文化に理解があった米国人らの善意で1961年に返還されたものの倉庫などで眠ったままだったが、ようやく鐘楼を仮設し、30日に同寺で開かれた式典で供出後初めて鳴らされた。    

 同寺は徳川家康の外交顧問だった英国人の三浦按針(ウィリアム・アダムズ)の菩提(ぼだい)寺として知られる。鐘は時刻を知らせたり、住民を集めたりするために鳴らされた銅製の梵鐘(ぼんしょう)で、直径約60センチ、高さ約120センチ、重さ約272キロ。江戸中期の1747年、著名な鋳造師の手で製造された。

 戦争末期の1945年7月、兵器や砲弾の材料として回収されたものの、溶かされる前に終戦。進駐してきた米海軍が旧横須賀海軍工廠(こうしょう)で見つけ、48年に米南部のアトランタ市に送った。

 60年、日系人女性がたまたま刻まれた文字を読んで同寺の鐘と知り、日本文化に理解があったアトランタ市長が返還を決断。米海軍の手で送り返されると、61年5月30日に返還式典が同寺で大々的に開かれた。しかし鐘楼の再建が実現せず、鐘は倉庫などで眠ったままだった。

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