さよならルザート クニコさん追悼

多数のインドネシア在留邦人に親しまれたレストラン「ルザート」オーナーだった重田久仁子(クニコ)さんが2023年5月29日、亡くなりました。「インドネシアという雄大な山をてくてくと歩いてきた」と語ったクニコさん。追悼を込めて、「南極星」2014年4月号より、「ルザート」閉店時の特集記事を再掲します。

文と写真・池田華子

「ルザート」に最初に行ったのは一体いつだったか。しゃれた料理とワインを出す店にもかかわらず、日本人男性客率、ほぼ100%。まるで「ジャカルタの新橋(飲み屋)」のような雰囲気に気圧されつつ席を取った気がする。その後、大学の同窓会やサークルの打ち上げ、飲み会など、ちょっとした会合で「ルザート」に集まることが増えていった。

ここは新しい人に会える場所だった。「南極の越冬経験者」という日本でも珍しい存在が2人、ルザートで偶然に出会って感動の握手、というシーンも目の当たりにした。名物ママ、重田久仁子(通称クニコ)さんの性格通り、オープンで開けっぴろげな店で、気軽に立ち寄りやすい雰囲気があったように思う。

18年余りの歴史をジャカルタに刻んだルザートは2014年3月31日、多くのファンに惜しまれつつ閉店した。「つぶれた」のでも「突然」でもない。「3〜4年前から(閉店を)虎視眈々と狙っていた」と言うクニコさんはこう語る。

「以前は人生50年ぐらい、と思っていたけど、まだ何十年も生きるかもしれない。やりたいことはまだまだいっぱいあるし、気力、体力、財力のある今のうちに、いったん、きれいにしたい。自分が広げたふろしきは自分の代でいったんたたんで、次に進む!」

店は残して誰かに引き継げばいいじゃないか、と残念がる声も多いが、「引き継がれた人も迷惑でしょう。私の濃い色に染まった店。何をやっても私と比較されてしまう」とクニコさん。「すべては緻密な計画の下に」、終止符を打つことを決めた。

従業員とメニューの一部は「ミスティカンサ」と「タベルナ・マツ」に引き継がれる。クニコさんも当面の間は、両店に出没する予定だ。

白と黒を基調にした「ルザート」店内

ピカピカに磨かれたワイングラスが並ぶ

「ルザート」名物のオムライス

ルザートのオープンは1996年12月。「春日(かすが)」という、うどん屋さんがあった308平方メートルの場所に店を開けた。翌年にはアジア通貨危機でルピア大暴落、その翌年はジャカルタ暴動が起こり、政情不安に加えて連日のデモ。「いじめかな、みたいなスタートだった」とクニコさんは振り返る。

「シェフを雇わなくても自分ができる料理」と考え、オムライス、ハンバーグ、グラタンといった「お母さんの料理」を考えたが、思っていたよりも広い店をやることになったので、日本でシェフを探してきた。「日本の洋食」という、これまでになかったコンセプトが当たり、多くの人に愛される店になった。

「ルザート」店内

「ルザート」個室

常連さんが多いのもルザートの特徴だ。クニコさんは「元駐在の人は出張でジャカルタへ来たら、必ず店へ来てくれる。現駐在の人に、ルザートで、とリクエストを入れてくれたり。『つながれている感』があった」。

1998年から4年間駐在し、2013年から2度目の駐在中の五十嵐明さん(58)は「暴動直後の騒がしい世の中で、ここでおいしいものを食べられて助かった人はいっぱいいる」と語る。

ジャカルタ出張中の山口尚さん(53)は「ルザートには10回以上、来ました。空港へ行く前にここで日本らしい料理を食べるとほっとします。日本に1歩、近づいた気がします」。

草野弘さん(56)は1年ほど前に赴任したが、来た日からルザートだったと言う。「ここで歓迎会をしてもらいました。アットホームなところが好き」。

日本で生まれ育ったユキフリ・ナジルさん(40)は「和食はジャカルタでも食べる機会があるが、ハンバーグやスパゲティーを食べられるのはうれしかった」。クニコさんからは「やさしい一言をかけてもらったり、いろんな人を紹介してくれたり、かわいがってもらった」と語る。

ユキフリさんの元上司のユケムリさん(仮名、42)は、前回の6年間の駐在中、「9割9分、昼めしはここだった」と言う。「飽きませんでしたか?」と聞くと「お母さんの料理、飽きますか? むしろ、addicted(中毒)です」と言い切った。2度目の駐在中のいま、クニコさんの「次の店」を心待ちにする。

「ジャカルタのお母さん、と言うと殺されるので、ジャカルタの姉御のクニコさんには、是非是非、早く、ジャカルタのどこかで再開してほしい。こぢんまりした小料理屋とかでいいので。ルザートがなくなると止まり木がなくなっちゃうような気がする。あっ、クニコさん、次の店、『止まり木』っていう名前はどうですか?」

日本に帰国した元駐在者の間でも「ルザート閉店」のニュースは残念がられており、元駐在者でジャカルタに出張に来た原田康晃さん(56)によると、「クニコさん、東京で(元インドネシア駐在者が集える)店をやってくれないかなぁ」と言う人もいるという。

クニコさんに「今後」を聞いたが、「私は『無言実行』の人なので、教えられません」と言う。ただ、「まだたくさん『ありがとう』を言いたい人がいて、『ありがとう』を伝えられることがしたい」。

できるだけ早く、クニコさんの今後をお知らせできる日が来ることを願いつつ。ありがとう、ルザート。

「南極星」2014年4月号より

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