分県後の宮崎県発展詳述 明治の県会議長日記 延岡・内藤博物館に寄託

 鹿児島県から分県後の1887年以降が記された四屋俊平日記。本県発展の礎を知る貴重な史料として本格的な研究、解明が期待される=延岡市、延岡城・内藤記念博物館

 明治時代に鹿児島県からの分県運動を主導した旧岡富村(現延岡市)の元県会(県議会)議長・四屋(よつや)俊平(1847~1920年)の日記が、所有者である延岡市の会社社長谷仲吉さん(78)から延岡城・内藤記念博物館へ寄託された。初代議長の川越進や、副議長などを務めた旧恒富村(現延岡市)の藤田哲蔵らと並ぶ分県運動中核の一人。分県後の1887(明治20)年以降の記録だが、県北地域のリーダーとして農業、経済振興に携わったことなどが記されており、本県発展の礎を知る貴重な史料として本格的な研究、解明が期待される。

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