「もう今までみたいに歌えない」川嶋あい“ライブ引退”の胸中を告白…歌手引退は否定

『明日への扉』が大ヒットした川嶋あい(撮影:高野広美)

「8月20日のワンマンライブは、今年で最後にします。もう、いままでみたいに歌えないんです」

こう明かすのはシンガーソングライターの川嶋あい(37)だ。

’03年、I WiSHとして発表したテレビ番組『あいのり』主題歌『明日への扉』がチャート1位を獲得し、累計で70万枚を突破。

’05年には、無名時代から続けてきた路上ライブが1千回を数え、’06年の名曲『旅立ちの日に…』は、卒業ソングとしても愛されてきた。

その“平成の歌姫”がデビュー20周年にして「ライブ活動の一線を退く」と告白するのだ。

「最初に違和感を覚えたのは’17年8月のライブです。昔の曲の最中に『あれ、歌えてない』と思いどおり声が出ないことに気づいて」

川嶋は母の命日の8月20日に、毎年、年間最大のライブを開催し、歴代のヒット曲を披露してきた。

だがその年の異変にショックを受け、病院を受診すると、のどにしこりができていることが判明。

「除去すると声質が変わってしまうリスクがあり、先生は手術には慎重でした」

不安と葛藤のなか、ボイストレーニングを重ねたが調子が戻らず、昨年5月、ついに手術に踏み切る。

「手術後3カ月もすればガンガン歌えると思いましたが、まったく思いどおりに復調してくれません。そして9月に、『来年8月20日でワンマンライブを最後にしたい』と会社に打ち明けました」

しかし経験とテクニックでカバーすれば、歌い続けることも可能だったのではないかーー。

「たとえば『旅立ちの日に…』にしても発表当時のパフォーマンスを維持できなければ、『川嶋あいの楽曲』ではない。毎年8月20日はそれを確かめる日でした。でも、ここ数年失敗が続き、もう『最後』という選択肢しかなくて……」

ただし歌うことを完全にやめてしまうわけではない。現に、ボイトレに加え10キロ以上のランニングを自らに課しているのだ。

「フェスなどの短時間であれば、今後も出るチャンスはあると思う。新曲はその時々のパフォーマンスに応じて作曲できますし、歌手を引退するわけではないですから」

■孤児の私を引き取り、育ててくれた“お母さん”

20年間、走り続けてきた川嶋がいま思うのは、亡き母のこと。

’86年、福岡県生まれの川嶋は、産みの母が病気で亡くなる前後に児童養護施設・和白青松園に入所。同施設をたびたび訪問していた、篤志家の川島夫妻は子どもがなく、川嶋が3歳のときに引き取られて親子3人の暮らしが始まった。

父の建設業は順調で裕福に育てられたが、川嶋が10歳のとき父が肝臓がんで他界。母子家庭となり、会社は傾きだし、家も豪邸から6畳1間のアパートへと移ろった。

すると今度は母が体調を崩して、心臓病に加え、がんも併発してしまう。それでも母は「娘を歌手にしたい」一心で音楽教室に通わせ、中学を卒業すると上京させて芸能コースのある高校に進学させた。

川嶋は、渋谷の街頭などで地道に路上ライブを始めると、現在の会社にスカウトされてデビュー、メジャーシーンへと駆け上がった。

母が故郷で一人亡くなったのは、『明日への扉』が全国ネットで流れるわずか2カ月前、8月20日のことだった。

施設で暮らしていた川嶋を娘として引き取った「お母さん」。わが身を削って夢を託してくれた天国のその母に、伝えたいことは。

「今年で最後と決めてしまって、『ごめんなさい』という思いです。 毎年この日は、母とステージで交信できる大切な日でした……」

そのライブが最後だという絶望と、まだ歌う機会は残されているという、わずかな希望。

「いま現在、闇と救いが混在しています。苦しい闇があるから、その先、どう生きていけるか、挑戦したい。負けたくはないんです」

いま、どんな光が見えているのだろうーー。川嶋は、しばらく考え込むと、顔を上げて話しだした。

「なぜそこまで、母が私を歌手にしたかったのか。ずっと疑問だったんですが、去年、私の歌の恩師の加峯恭子先生、麻美先生(ホットミュージックKaBu音楽学院)からこう告げられたんです……」

川嶋を施設から引き取ったものの、始終泣きやまない3歳児に困り果てて、母は加峯先生に相談。

教室で「お遊戯のように歌を始めると、ピタッと泣きやんだ」のだという。

「3歳の私が母に『歌うの楽しかった!』とすごい笑顔で言ったそうです。そこで母は『この子に歌を続けさせたい』と思ったのだと。

いま、30代半ばになった私は、『母のようなことができたらなあ』と思い始めているんです」

■手段は歌以外にも…母のように子供たちに希望を与えたい!

歌手として成功した川嶋は児童養護施設を慰問して、歌やプレゼントを届けてきた。阪神・淡路大震災、東日本大震災などの遺児・孤児への支援。さらに、発展途上国での学校建設なども進めてきた。

そして最近は「闇の中にいる子」に思いを馳せるようになった。

「ニュースなどで時折、虐待による悲しい事件を目にします。いまも、どこかで虐待されている子が闇の中にいるはずなんです。手を上げてしまう親の心だって闇。自分になにができるのか、考えて行動したいと思うんです」

母の命日に行う最後のライブ。

「これが終われば、きっと見えてくるものがある」と期待を込める。

「当日は、古くからのファンの方も、初めての方も楽しめる代表曲を中心に、意表を突く構成を考えています。私は、いまの歌声から逃げないで、20年の集大成として完全燃焼します!」

8月20日は、川嶋とファンの、次への「旅立ちの日」になるーー。

(取材・文:鈴木利宗)

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