内藤重人×成宮アイコ - 生活の温度、内部に秘めているものを表現に託して

「夕方、屋根裏にて」での共作について

内藤:アルバム『PALE』の3曲目、「夕方、屋根裏にて」に詩を提供してくれてありがとう。この曲はコーラスではなくて朗読を入れたいと思ったときに、この数年いろいろと共に過ごさせてもらった成宮さんに頼みたいなって。他人の曲の中で詩を書くことは大変だったと思うけど、どうだったかな。

成宮:自分の名義では書かないタイプの詩を書けて楽しかったです。あえて現実的過ぎない言葉を選びました。自分の名義で作りたいものとは方向が違ってしまうのでなかなかタイミングがなかったのですが、こういう詩も本当は書きたいんです。歌詞提供をするときの書き方と似ていました。

内藤:なるほど。たとえばアイドルさんに歌詞提供するときの書き方ってこと?

成宮:そうです、人への当て書きだと想像の余白が作れるんです。反対に、自分の作品は誰もがほぼ同じ想像ができる言葉しか使いたくないんです。たとえば、“雨に濡れた金属の灰皿に残る白い灰”って書けば、だいたいみんなが同じ風景を思い浮かべますよね。その灰を悲しいと思う人もいるだろうし、汚いと思う人もいるだろうし。同じものを見てそれぞれがなにを考えたかが知りたいんです。でも“雨が降っていた”くらいで書くのをやめてみたい気持ちもある。だから今回の詩を書くのは楽しかったです。

内藤重人

内藤:僕はトラックに対してメロディよりも朗読風なものが主体になってしまいがちなんだけど、それだけだとあんまり芳しくないなって思う気持ちがこの曲にはあったから、サビを作って女性の朗読を入れたいって思ったのかもしれないね。映画を観たり本を読んだりするインプットは創造するためには大切だと思うんだけど、共作のように自分の音楽のなかで与えてもらうインプットっていうのはまた違う大切さがあると思うんだ。

成宮:この詩も、個々に完結したものを持ち寄ったのではなくて、部分部分で送りあいながら書きましたよね。

内藤:ここ最近少しだけ頑張ったと思っていたところもあって、言葉や描写が枯渇気味になっているような気がしたんだ。一行二行なら詩を書けるんだけど、その先がなかなかしんどくてね。特に、「夕方、屋根裏にて」は最後に作った曲だし。でも、トラックが好きだったから殺したくなかったんだ。だから成宮さんの詩が存在してくれたことによってその先の構成も浮かんで、完成まで辿り着けたんだと思う。

成宮:言葉を書きながら相互に影響を受けるのは面白いなと思いました。内藤さんが2番Aメロで『ライ麦畑でつかまえて』の主人公・コールフィールドの固有名詞を出したから、わたしもメルヴィルのバートルビーって書いたんです。この詩で唯一自分っぽいと思うのは、イントロです。“夜だけ買えるサンドイッチ”って本当に夜だけ開くサンドイッチ屋さんが歌舞伎町にあるし、“夜だけ使える名前”は夜にしか遊んだことのない友だちはみんな本名を知らないから。全て現実のこと。

実は詩よりも発音と音質

内藤:曲のラストで少しエフェクティブになった成宮さんの声と俺の声が同時に鳴ってるけど、声の相性が良いなと思ったんだよね。俺の声ってちょっと丸い質感があると思うんだけど、二人の声が混ざるとピリっとなる。もしかしたらそれを察して成宮さんが読み方を変えてくれたのかもしれないけど。

成宮:声質がペタっとしないようにとは意識しました。わたし、内藤さんに勧められてマイクをゼンハイザーに変えてから現場やレコーディングで全然困らなくなったんです。湿度が出ないし、さ行がちゃんと出る声質になる。内藤さんはさ行が出ますよね。

内藤:子どものころは出なかったんだよね、特に「す」とかは言えなかったかもしれない。少しそれが物悲しかったような記憶があるよ。どこかで意識してるんだと思う。成宮さんが表現したいものを受け止めてくれるマイクとの相性が良かったのかもしれないね。

成宮:さ行が丸くなると嫌なんです。滑舌じゃなくて、音の刺さり方と残り方。そこに変なこだわりがあるんです。だから、息を吸う音も消さないでもらっています。

内藤:制作が終わった後も自分の音楽を聴ける?

成宮:わたしは聴きます。収録したものがいちばんその曲に合ったニュアンスだと思うので。逆に聴いていないと、普段のしゃべるニュアンスのまま朗読をしてしまって失敗します。音程を下げる下げるってイメージをしてから声を出さないと、しゃべり声の高さになってしまうから。

内藤:成宮さんは声量自体は別に小さくないもんね。ニュアンスは喉で対応ができる?

成宮:喉を閉じるのもありますけど、意識も大きいです。たぶんわたしが出したい理想形の声って内藤さんの声なんですよ。直線でレイヤーがいっぱい掛かっているみたいな。同時にいろんな高さの音が聞こえる気がします。

内藤:いろんな音、するよね。昔は耐え難かったけど。でも、これは技かもしれない。そういうボーカルが好きだったから、その人のように歌っていたら近づけたのかも。曲が求めているものとその人がそこにいる意味みたいなのがあるんだと思うんだけど、それはピッチが素晴らしく完璧というところよりも、語尾のニュアンスだったり言葉の入り口だったりが大事な気がする。成宮さんはそういうのがめちゃくちゃうまいから。

成宮アイコ

成宮:そうだったらいいな……。Aメロの最後「破滅的な波の先で消えてなくならないで」とか「今、声を鳴らしてる!」の部分は、最初はコーラス的立ち位置の朗読にしていたんですけど、内藤さんが成宮さんらしく読んでみてと言ってくれて、言葉を投げかける読み方にしました。わたしは詩を書いてはいるけれど、言葉自体よりも発声のニュアンスとか発音のほうに気持ちをグっと持っていかれるんだと思います。

内藤:だからこそ、休符って大事なんだと思う。会話も同じようなものだよね、こういうふうに話しをしていて、ふっと黙ったと思ったら大切なことを言うみたいな。休符があってこそ、そのときのトーンに意味があるんじゃないかな。

成宮:そうですよね。発音ひとつで言葉が呼び起こす風景が全然変わる。普段、音楽を聴いていても詩の内容そのものってあんまり入ってきてなくて、メロディーにはまる単語や発音があると一気に入り込めます。

内藤:詩はちゃんと聴こうって意思がないと全編ついてはいけないよね。ふくろうずの「ごめんね」が好きだったよね。あれとかはもう……。

成宮:完璧ですよね。なにもかもがパーフェクトに好きな曲です。だって、あんなに少ない言葉数のなかで同じ言葉を繰り返す勇気……ありますか?

内藤:俺はないな。

成宮:私もないです。だから最高です。

今、やらなくてはいけないこと

内藤:初めて一緒に曲を作ったときから考えると、もう3、4年も経つね。

成宮:内藤さんのMCで印象に残っている言葉があってたびたび思い出すんです。「僕は自分の感受性をつらく思ったことがない」って。こんなに繊細な音楽を作るのに、感受性をつらく思わないというアンビバレントな感じに驚きました。

内藤:本人としては別に自分が優しいとは思っていないんだけど、アウトプットした音楽ってなんだか優しそうな印象になるみたいなんだよね。

成宮:そのバランスを保ったまま制作に向かえるのは理想形に思えます。

内藤:「君はその感性があるから尊いんだよ」とか言われたことがないし、誰かが感受性を評価してくれることもなかったし、自分の中だけで対峙していれば済むことだったからかな。“この旗を建てなければ生きていけない”っていう位置ではなくて、生活の温度のようなものだったと思う。

成宮:内部に秘めているもの、かな。わたしは作っているものと自分自身は切り離したいので、書いた詩そのものみたいなイメージを他人から持たれると違和感があります。確かに自分の一部ではあるけれど、すべてではないから。特に内藤さんとクロダさん(※クロダセイイチ/Genius P.J's)と制作をするようになってからは、より切り離せたかなと思います。

内藤:それはすごく向いていることのように思うな。聞き手は詩こそが成宮さんから見えている世界だと思うかもしれないけれど、切り離したほうが鋭くソリッドに書ける気がする。この先も制作を続けていったら、もっと離れていくものだと思うよ。過去や自分の中にあるものからの引用ではなくて、きっと違うものを作るんだろうなって思う。

成宮:以前は、「自分の作ったものは自分のすべてなので、同じ気持ちの人はわたしでよければ委ねてもらってかまいません、すべて一緒に考えましょう」と思っていたけれど、それは今後も継続していくには誠実じゃないなと気づいたんです。それぞれがいつか自分で生きていかなくはいけない。そう思うと、自分自身を書くのではなくて現実を書くことや、歌詞提供をして人へダイレクトに当て書きをするのはとても健康的に感じています。

内藤重人

内藤:ものすごく向いているんだろうね。最近、楽はしたくないなって思う気持ちがあるんだ。なじみ深いテンポ、コード進行、使う音源に甘えるようにはなりたくないなって。違うものにトライしてみたいなって気持ちがある。成宮さんの得意そうな音はなんとなく察するし、好きな感じとかコード感とか絶対あると思うんだけど、不得意な曲にトライしてみることで広がることも多いだろうね。

成宮:選びがちなニュアンスってありますよね。わたしも、以前はもうちょっと朗読にも猶予がある音楽をしていたはずなんですけど、最近は流れるようにたくさん言葉を詰め込んでいます。内藤さんにピアノを弾いてもらって制作した「ノンフィクション」なんて一回言葉が詰まったら終わるので緊張感があります。

内藤:「ノンフィクション」めっちゃいいけどね。詩が良いんですよ、本当に。

成宮:嬉しい。あれはコロナ渦に書いていた日記から膨らませました。24時間あいている喫茶店で知らない人が怒られていたり、駅のホームで人身事故があったときに変なWi-Fiを拾っちゃって「わたしは大丈夫だよ」って送れなくなったり、いつもピリピリした世界だった。

内藤:未来を焦るわけではないけど、俺は生き急いじゃうから一番手前にあるやらなきゃいけないものを取りがちなんだ。もうちょっと器が大きくなれたらいいのになって思う。それを無理に取らなくてもいいんだよと言ってあげたかったりもするし、もう少し頑張って遠くに手を伸ばしてもいいんだよとも言ってあげたい。そういうところで成宮さんともまた道が交わるといいなと思っています。

成宮:わたしは生き急がなくなってきたら、逆に着地点が分からなくなりました。永遠に完成しないものを作っている気持ちです。ずっと同じ色を塗り続けても満足しなくて、キャンパスが厚み3センチになってるようなイメージ。

内藤:自分自身が持っているものとお別れはできないから、そこに足していく行為ができたらいいんじゃないかな。なにか足せばもともとあったものが薄くなるかもしれないけれど、それくらいでしか人は変わることができないかもしれない。『PALE』ツアーで、この曲はどうやってライブで再現したらいいのかまだ悩んでいます(笑)。

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