トキ野生復帰へ 石川・能登地方を歩く 止まらぬ荒廃…田んぼ維持に一抹の不安

江を見詰める濱中さん。水田の奥には荒廃した農地が広がる(石川県穴水町で)

3年後の放鳥めざし環境整備スタート 国の特別天然記念物、トキの本州最後の絶滅地、石川県能登地方で3年後の放鳥開始を目標に環境整備がスタートした。地域の人々の期待が膨らむが、中山間地域が9割を超える同地方は後継者難で耕作放棄地が増えており、餌場となる水田を守り切れるのか不安も交錯する。農業と地域の再生が鍵を握るトキ野生復帰の現場を歩いた。

晴天の5月21日、能登地方の七尾市でトキの餌となるドジョウなど生き物10種を観察するイベントが開かれた。市内に住む中村碧さん(7)は、ザリガニを網ですくい「本当にトキが食べるの?」と驚いていた。

県は2023年度を放鳥事業の「実行元年」に定め、餌場の確保や生物多様性の教育に乗り出した。県トキ共生推進室長の山田寛司さん(51)は「トキとの共生には、未来を担う世代の力が必要。生息環境を守る大切さを伝えたい」と語る。

餌場のモデル地区に選定されたのは能登地方4市5町の9カ所。現在、減農薬栽培や水路の整備などが進む。そのうち本州最後のトキが姿を消した穴水町に向かった。

穴水町甲地区は、谷あいの底に集落と農地がある。農家12人が田5ヘクタールで化学肥料・農薬を大幅に減らし、田と水路をつなぐ魚道を整備した他、中干し期に生物が逃げ込む江を設置したり、遊休田をビオトープに変えたりしていた。

農薬を使わず草刈りされたあぜ道を歩く。棚田の江にカエルや小魚の魚影が見えた。「能登棚田米」を栽培する濱中勲さん(69)は「トキを迎える準備が整ってきた」と言った後、「でもね」と浮かない表情を見せた。

視線の先には雑草に埋もれた荒地があった。近づくとあぜの跡が見え、かつて水田だったことが分かる。住民の半数は70代以上。後継者もなく離農すれば農地は自然にのまれていく。濱中さんは「若い担い手が増えなければ」と言い、その後の言葉をのみ込んだ。

農水省の調べでは、中山間地域は平地より所得が平均で4割ほど下がる。能登も例外でなく、21年度に県内で就農した112人のうち能登は46人にとどまる。県は14年に法人の参入を促すため140億円規模のファンドを設け、能登で35団体が計607ヘクタールを耕作するが、荒廃農地の増加は止まらない。

穴水町の場合、耕作困難な荒廃農地は17~21年で458ヘクタールと2倍以上増え、県の平均増加率(7%増)を大幅に上回った。濱中さんはその理由に「農地の集約が進まない」ことを挙げる。傾斜地にある田が多く、一区画の面積も小さいためだ。

「僕ら世代が働ける5~10年後までは守れるが、その後をどうするか。トキの生息環境を整えるのもさることながら、若い人たちが住みたいと思うような地域にしなければ」。濱中さんが自戒を込めて言った。 佐野太一

<メモ> 本州でのトキ放鳥計画

1970年に能登で最後の野生個体が保護され、トキは本州から消えた。その後、日本のトキは2003年に新潟県佐渡市で絶滅。中国から贈られたつがいを繁殖させ、08年に同市で野生復帰を開始。野生個体が500羽を超えた22年度、環境省は放鳥を本州にも広げようと能登地方と島根県出雲市を候補地に選んだ。

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