「らんまん」牧野富太郎と南方熊楠展 7月2日まで、和歌山・田辺

企画展の資料を見る来館者(3日、和歌山県田辺市中屋敷町で)

 NHK連続テレビ小説「らんまん」のモデルとして注目される植物学者・牧野富太郎(1862~1957)と、世界的な博物学者・南方熊楠(1867~1941)。同時代を生き、ともに自然科学の世界で活躍した2人にスポットを当てた企画展が3日、和歌山県田辺市中屋敷町の南方熊楠顕彰館で始まった。

 牧野は高知県出身。日本人として国内で初めて新種に学名をつけるなど、日本の植物分類学の基礎を築いた。生涯に1500種類以上の植物を命名し、「日本の植物学の父」とも呼ばれる。

 一方の熊楠は、変形菌やキノコなど花を咲かせない「隠花植物」の研究に力を注いだことで知られる。

 熊楠顕彰館学術研究員の土永知子さんによると、花を咲かせる「顕花植物」にも関心があった熊楠は、牧野の描いた精密な植物図が載った出版物を取り寄せて読んでいたという。「熊楠は牧野のすごさを知り、競合しないよう隠花植物の研究にかじを切ったのではないか」と話す。

 後半生を田辺市で過ごした熊楠は、採集した植物標本を知人を通じて大量に牧野に送り、鑑定を依頼していた。明治44(1911)年7月30日の日付が入った牧野から熊楠への手紙には、モミランなどの珍しい標本を送ったことに対する礼や丁寧な解説が書かれている。

 紀伊半島の植生に興味を持った牧野は、那智の滝周辺やひき岩群、奇絶峡などへ採集に訪れた。熊楠は身内の看病に追われていたこともあり、牧野と顔を合わせることはなかったが、案内すべき場所を弟子に伝えたメモを残しているという。

 生涯一度も会うことのなかった2人だが、互いに一目置く存在だったのではないか、と土永さん。「牧野は『植物を愛すれば、世界中から争いがなくなる』という言葉も残している。企画展を通して、2人が一生をかけて取り組んだことを感じてほしい」と話している。

■120年前開花のハチクも

 熊楠が牧野に送った標本の中には、120年前に開花したとみられる竹の仲間ハチクも含まれている。

 土永さんによると、標本は明治36(1903)年発行の地元紙に包まれていた。牧野から送られてきた標本の鑑定結果には、「はちく」と書かれている。

 ハチクは120年に1度しか花が咲かないとされているが、田辺市内でも今年、開花が確認されている。その生態にはまだ分からないことが多く、熊楠の標本は貴重な資料だという。

 企画展「牧野富太郎と南方熊楠」は7月2日まで。開館時間は午前10時~午後5時(最終入館午後4時半)。月曜休館。

 問い合わせは顕彰館(0739.26.9909)へ。

南方熊楠が牧野富太郎に送ったハチクの標本、牧野からの手紙など展示品の一部

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