兵庫県たつの市出身の哲学者・三木清(1897~1945年)の遺品から100枚以上の写真が見つかり、昨年、同市立霞城館に寄贈された。ただ添付資料が乏しく、人物や撮影日時が分からない写真ばかり。調査の結果、世界的哲学者のハイデッガー(1889~1976年)ら多数の著名人が写っていたことが分かった。未公開とみられる写真もあり、三木の新たな一面もうかがい知ることができる。(直江 純)
写真は三木の遺族から寄贈された。三木は最初の妻・喜美子さんを1936年に亡くし、自身も治安維持法違反で拘束されていた45年9月26日に獄中死した。2人の間に生まれた一人娘の永積洋子さんは歴史学者となり、東大教授として活躍した。
永積さんは父の三木について多くを語らないまま高齢になり、写真の由来が親族にも分からなくなった。一部には三木の直筆で裏書きがあったが、多くは撮影時期も不明だった。
このため、三木清研究会の室井美千博事務局長(73)=太子町=はたつの市教育委員会の義則敏彦専門員らと写真をすべてスキャンし、手分けして調査にあたった。近現代史好きの記者も参加した。
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室井さんが最も注目したのは1枚のネガだった。「これ、もしかしたらハイデッガーかもしれませんよ」。日頃は物静かな室井さんが興奮を隠せない。ハイデガーとも表記され、三木がドイツ留学中の23年に師事した20世紀最大の哲学者だ。
ネガは白黒で縦12.5センチ、横約8.5センチの大判カメラ用。霞城館が業者に依頼してスキャン画像にすると、若き日のハイデッガーのりりしい表情が浮かび上がった。自らの書斎らしき部屋でくつろいだ表情だ。
三木が当時を回顧した随筆「ハイデッゲル教授の思い出」には誰の紹介状も持たずに教授宅を訪問したと書かれている。ドイツ古典文学の全集が並ぶ書斎で2人はアリストテレスについて語り合ったという。
長寿だったハイデッガーの写真は多く残っているが、今回の類似カットは国内の研究者にも知る人はいなかった。室井さんは「画質の精細さから見ても複製ではなく原板ではないか。三木にネガを託したとすれば、師弟の距離の近さを示す新たな資料となる」と期待している。
記者が担当したのは三木がフィリピンに徴用された戦時中の写真だった。陸軍報道班員の仲間だった石坂洋次郎(1900~86年)と三木の2ショットには三木独特のくせ字で石坂の名が書かれていた。石坂は戦後の「青い山脈」が代表作だが当時から流行作家だった。
別の集合写真には「昭和17年 マニラホテルにて」との裏書きもあった。三木と石坂と並んで小説「人生劇場」で人気を博した尾崎士郎(1898~1964年)に似た男性がしかめっ面で立っている。
この写真について、尾崎ゆかりの東京・大田区立郷土博物館に問い合わせたが、「断定しづらい」との回答だった。
次に実践女子大非常勤講師の須山智裕さん(28)に連絡した。須山さんは石坂ら徴用作家を専門に研究している。「尾崎はフィリピン滞在時、のどを傷めて包帯を巻いていたとの記述があります。丸刈りも別の写真と一致します。間違いないですね」
寄贈写真には、三木の婚礼写真や、一人娘らしき幼児を抱く夫妻など、家族思いだった三木の人柄が伝わる写真も含まれている。
霞城館の松尾壮典館長は、和服姿の三木の代表的な肖像写真をネガで入手できたことを喜ぶ。「これまでは粗い複製データしかなかったが、今後はより美しい画像を外部にも提供できそうだ」と話す。
霞城館では6月27日から今回の発見写真の企画展を計画している。同館TEL0791.63.2900
【三木清】龍野中(現龍野高)から一高、京都帝大へ進み西田幾多郎に師事。1922~25年にドイツ、フランスに留学した。40~41年に出版した「哲学入門」「人生論ノート」がベストセラーになったが、45年3月に共産主義者の友人をかくまったとして治安維持法違反の疑いで逮捕され、終戦後も釈放されないまま同年9月26日に獄中死した。