不測の事態を悲劇と捉えるか、飛躍の足掛かりにするのか。
2022年2月に突然の休部を発表した、東京アート卓球部。
日本リーグでは最多の26回の優勝を誇るなど、“暴れん坊アート”の異名で実業団のトップを走っていた名門チームの休部は、卓球界に衝撃をもたらした。
写真:東京アート/撮影:ラリーズ編集部
当時の東京アート卓球部員は途方に暮れる中、それぞれ何を考え、そしてどのように新たなスタートを切ったのか。
東京アート卓球部に所属していた選手達の今を追う連載。第1回目となる今回は、2019年から3年間東京アートに所属し、単複で活躍を見せた坪井勇磨に話を伺った。
‟卓球に打ち込める環境”を求めて
青森山田高時代にはインターハイ3冠に輝き、筑波大に進学。エースとして活躍を見せ、全日学(全日本学生選手権大会)男子シングルスで優勝するなど、学生のトップを走ってきた坪井。
なぜ東京アートを進路に選んだのか。その理由や東京アートで得た経験について、まずは話してもらった。
写真:筑波大在学時の坪井勇磨/撮影:ラリーズ編集部
写真:東京アート所属時の坪井勇磨/撮影:ラリーズ編集部
写真:東京アートOBの高木和卓(ファースト)/撮影:ラリーズ編集部
写真:東京アートOBの吉田海偉/撮影:ラリーズ編集部
写真:東京アート所属当時の坪井勇磨/撮影:ラリーズ編集部
「プロに挑戦するなら海外に行くしかない」
東京アートで実力を出し切る戦い方を学び、着実にチームの中核を担う存在となりつつあった坪井。
その流れを断ち切るようなタイミングで訪れた、突然の東京アート休部発表。当時の胸中やドイツ行きを決めた理由を尋ねると、逆境をチャンスに変え前に進む坪井の姿があった。
写真:坪井勇磨/撮影:ラリーズ編集部
写真:坪井勇磨/撮影:ラリーズ編集部
写真:坪井勇磨/撮影:ラリーズ編集部
写真:坪井勇磨/撮影:ラリーズ編集部
写真:坪井勇磨/撮影:ラリーズ編集部
所属先が無くなるという事態を自らのプロ挑戦のタイミングと捉え、ドイツに渡った坪井。次回の記事では‟選手としての欲”、またセカンドキャリアについて自身の考え方を話してもらった。
(後編に続く)
取材・文:橘川広太郎