<金口木舌>惨劇はなぜ起きたのか

 激しい地上戦で多くの県人が犠牲となったサイパン、テニアンへの慰霊の旅が今年も行われた。肉親の遺骨が眠る地への思いは尽きない。肉親を奪った戦闘から今年で79年

▼44年6月以降、日本の委任統治領だった両島に米軍が攻め入った。壕から壕へ逃げた住民は追い詰められ、岬から身を投げた。翌年、沖縄戦でも同じことが起きる。この惨劇を避けられなかったのか

▼日本軍は42年6月、ミッドウェー海戦で敗北し、太平洋戦争開戦半年で日米の攻守は逆転した。翌年2月、日本軍はガダルカナル島を撤退。44年2月のサイパン、テニアンへの米軍空襲開始前、日本の劣勢は明らかだった

▼テニアンで父と妹3人を亡くした金城秀子さん(87)は自身の体験を、慰霊の旅の他の参加者に語った。最後に隠れた自然壕で米軍はビラをまき、投降を呼びかけていた。「米軍は住民を殺そうとはしていなかった」

▼日本の軍部はもっと早く戦争を終わらせることができなかったか、なぜ住民に死を強いたのか。沖縄戦にも通じる問い掛けは今も続いている。

© 株式会社琉球新報社