『ジャガーXJR-9(1988年)』ポルシェのル・マン連覇記録を止め、悲願を達成した殊勲車【忘れがたき銘車たち】

 モータースポーツの「歴史」に焦点を当てる老舗レース雑誌『Racing on』と、モータースポーツの「今」を切り取るオートスポーツwebがコラボしてお届けするweb版『Racing on』では、記憶に残る数々の名レーシングカー、ドライバーなどを紹介していきます。今回のテーマは、1988年のル・マン24時間レースを制したグループCカーの『ジャガーXJR-9』です。

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 今から遡ること40年前、1980年代頃のル・マン24時間レース。この時代のル・マンは1982年より本格スタートしたグループCというカテゴリーが活況を呈していた。

 このグループCにおいて、続々と現れる挑戦者のベンチマークとなり、高い壁として立ちはだかっていたのがポルシェだった。

 ポルシェはグループC規定を徹底的に研究して作り上げたマシン、『ポルシェ956』を初年度の1982年からグループC戦線に投入した。そして、1987年までの間に『ポルシェ956』の後継車である『ポルシェ962C』での勝利も合わせて、ル・マン6連覇(1981年もグループ6マシンの『ポルシェ936』が制しているので、それを合わせると7連覇)という偉業を成し遂げたのだった。

 そんな連覇の最中にもポルシェの強さに陰りが見えはじめ、1988年には他車にル・マンでの勝利を奪われることになる。そのポルシェのル・マン連覇を止めたのが、今回紹介する『ジャガーXJR-9』だった。

 1985年にジャガーは『XJR-6』というマシンをトム・ウォーキンショウ・レーシング(TWR)に開発させ、グループCカーレースへ本格的に参入した。この時、開発した『XJR-6』のカーボンコンポジットのモノコックにグラウンドエフェクトを追求した空力パッケージ、さらにそのシャシーに大排気量NAエンジンを組み合わせるというマシンの基本構造を引き継ぎ、ジャガーのグループCカーは改善が重ねられていった。

 『XJR-9』もその基本を前作の『XJR-8』から引き継ぎ、『XJR-8』の細部を改良したリファインバージョンのマシンだった。

 『XJR-8』と『XJR-9』で大きく変わったのはホイールのサイズ。『XJR-8』ではフロント17インチ、リヤ19インチだったものを、『XJR-9』ではリヤを17インチに変更した。このサイズ変更に伴って、リヤサスペンションにも改良が加えられていた。

 そんな『XJR-9』は、1988年の世界スポーツプロトタイプカー選手権(WSPC)に投入された。ライバルの『ザウバーC9』に速さでは後塵を排する場面もあったものの、ル・マンまでの4戦で3勝をマーク。そして前年、勝てるポテンシャルを備えながら、ポルシェに敗北したリベンジを果たすべく、1988年のル・マン24時間レースへと挑んだ。

 ジャガーはル・マンに向けて、エアロパッケージとエンジンをスペシャルとした『XJR-9LM』を5台用意し、必勝体制を築いた。

 一方、1981年から7連覇中だったポルシェも、ワークスチームがル・マンに照準を合わせて改良した『962C』を持ち込み、8連覇を狙っていた。

 結果、レースはジャガーとポルシェによる激闘が繰り広げられた。最終的には優勝と2位の差はたった2分37秒という僅差で、ジャガーがポルシェを退け、Dタイプ時代以来31年ぶりのル・マン制覇を果たしたのだった。

 その後、『XJR-9』はWSPCでのタイトルも獲得。しかし、大きくて重い大排気量NAエンジンではポテンシャルに限界もあり、ジャガーは1989年に向けて、新たなターボエンジン搭載車の開発を進めることになるのだった。

1988年のル・マン24時間レースを戦った『ジャガーXJR-9LM』の1号車。マーティン・ブランドル、ジョン・ニールセンがステアリングを握った。
富士スピードウェイで開催された1988年のWSPC第10戦WEC IN JAPANを制した『ジャガーXJR-9』の1号車。エディ・チーバー、ジョン・ニールセン、マーティン・ブランドルがドライブした。

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