82年ぶりの故郷へ…沖縄で戦死の男性の日章旗、長男の元へ「多くの人に感謝」 無事祈った仲間の名前あせず

返還された日章旗を広げる、関根竹一さん(右)と市遺族連合会の持田紀男さん=埼玉県秩父市福祉女性会館

 戦地に赴く兵士を激励するため、関係者が思いを込めて寄せ書きをした日章旗が、埼玉県秩父市黒谷の関根竹一さん(83)の元へ帰ってきた。勝利と無事を祈る言葉「武運長久」の横に大きく記された「関根彰君」は、太平洋戦争末期の1945年6月に33歳で戦死した、竹一さんの父の名前。白地の部分が黄ばんでいても、彰さんの仲間の名前がはっきりと確認できる日章旗を握り締めた竹一さんは「こんなにきれいに保管されていて、大変驚いている。額に入れて大切に飾りたい」と涙ながらに語った。

 彰さんは41年8月に出征し、満州やフィリピンへ渡った後、44年6月から沖縄防衛作戦に参加。翌年6月に沖縄真壁方面で戦死した。陸軍伍長。彰さんには、長男の竹一さんを含め1男3女の子どもがいた。「出征時は幼く(小学1、2年生)、父の記憶はほとんどないが、母が軍服姿の写真を見せて、『人に好かれる性格』と教えてくれた」と竹一さん。

 約82年ぶりに故郷へ戻った縦約83センチ、横約60センチの日章旗には、彰さんが勤務していた加藤製作所(同市大野原)の従業員や地域住民ら66人の名前が記されている。竹一さんに日章旗を手渡した市遺族連合会の持田紀男さん(82)は「見覚えのある名前ばかりで、彰さんの人望の厚さがうかがえる」としみじみ話す。

 彰さんが戦死し、関根家の元に届いた骨つぼの中には、遺骨ではなく、戦地で拾ったであろう小石数個が入っていた。竹一さんは「ようやく形ある遺品が帰ってきた。多くの人たちに感謝したい」と顔をほころばせ、「このような惨事は二度と繰り返さないでほしい」と願った。

 彰さんの日章旗は、戦没者の遺品返還活動に取り組む米国の団体「OBONソサエティ」が今年3月、日本遺族会と県遺族連合会を通じ、市遺族連合会に返還した。

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