可夢偉チーム代表が、最終スティントを平川に託した理由。まさかのスピンにも「彼を責めるつもりはない」/ル・マン24時間

「見ていて寒気がしましたよ」

 トヨタGAZOO RacingのWECチーム代表を兼務する7号車GR010ハイブリッドの小林可夢偉は、2023年ル・マン24時間のレース終盤に8号車が見せた鬼神の走りをそう振り返る。

 7号車が悲運のアクシデントによりレース前半でリタイア、“トヨタ6連覇”への想いをすべて背負い込んだ8号車の3人。テストデー直前に発表された“ルールにない”BoP調整により、フェラーリ499Pとは計算上、1周あたりコンマ4〜5秒の性能差があるはずだった。実際、想定どおりのタイム差でレース後半の接戦は推移したが、その“計算”を上回らんとする激走をセバスチャン・ブエミが、ブレンドン・ハートレーが、そして平川亮が見せたのだ。

■「僕でいいんですか」

 残り2時間の最終スティント、誰をフィニッシュドライバーにするかは、可夢偉代表も悩んだという。

 そこまでドライブしてきたハートレーの次は、ローテーションどおりにいけば平川だった。

 だが、平川はこの決勝レース、最初の走行では雨の難コンディションで苦闘、朝の2回目のドライブではスティント序盤で小動物を轢いてしまってエアロを失い、リズムの良い走りができずにいた。

 チーム随一の実績を誇るブエミにチェッカードライバーを任すという選択肢もあったが、可夢偉の決断はローテーションどおりの平川だった。

「僕でいいんですか」「僕を信用してくれるんですか」

 チーム代表の可夢偉に、2年目の平川はそう確認してきたという。

「何を信じるかです」と可夢偉はその決断を振り返る。

「そこは僕の責任で……僕は平川を世界で戦えるドライバーに育てたいという気持ちがあります。確かに本来なら経験のあるドライバーに(託す)というのもあるかもしれませんが、でもやっぱり平川に託したいな、と。そもそも信用してなかったら、ここ(WEC)に呼んでいませんから」

 思えば、トヨタでル・マンを制したことがある日本人ドライバー、すなわち中嶋一貴TGR-E副会長も、そして可夢偉チーム代表も、ル・マンの最終スティントを担当してきた。

 一貴は“3分前”でストップしてしまった2016年、「あんなに重いハンドルはない」と関わってくれたすべての人の想いを背負う最終スティントの重責を表現した。可夢偉は悲願がようやく成就した2021年、フィニッシュドライバーを務めるにあたり「一貴は何度もこんな想いをしてきたのかと尊敬した」と語っていた。それほどまでに、一年に一度の伝統の24時間レース、その最終ランナーを務める者の双肩には、常人では理解できないほどのプレッシャーがのしかかるのだろう。

 ましてや100周年のル・マンは是が非でも勝ちたい、いや、勝たなくてはいけないレース。劣勢のなか首位を追いかける状況に、平川も「プレッシャーはとても大きく、これまでにないものだった」と振り返る。それでも、「自分の持っているものをすべて出す」という強い気持ちが勝っていた。

 ハートレーからステアリングを譲り受けると同時に、平川は猛然とフェラーリを追った。幸い、それまでの走行よりもフィーリングは良くなっていた。しかしコースに出てわずか3周目、アルナージュへのブレーキングでリヤタイヤがロック、コントロールを失った8号車はスピン状態からガードレールにクラッシュしてしまう。大きくタイムロスしてコースへ復帰、ピットで前後のボディワーク交換を行った8号車は、完全に勝機を失った。

 レース後の平川は、これまでに見せたことのないほど、悔しさや自責の念をストレートに滲ませていた。表彰台でも、記者会見でも、硬い表情で俯く平川を、可夢偉やハートレーがそっと支える姿が印象的だった。

 平川はスピンの瞬間を「ブレーキでリヤがなくなってしまい、そこは想定外でした。自分でも何が起こっていたか分からないです」と振り返った。

「彼を責めるつもりはありません」と可夢偉代表は言う。

「(原因は)本人がどうのこうのとうよりも、すべての雰囲気ですよ。『いくしかない』という雰囲気をチームで作ってしまっていましたし、その雰囲気でずっとあそこまで食らいついてきてしまったから。もちろん、経験のあるドライバーだったら『もう、ここら辺が限界だな』って分かったかもしれない。でもそれも含めて、チャレンジしなければ分からなかったことだし、これが本当にいい経験になって、もっと強いチームを作るということにつなげられるんじゃないかなと思っています」

 平川の見せた走りをそう評価する可夢偉は、「僕もああいう状況のときに、もしかしたら失敗したかもしれない。でも大事なのはそこではなくて、失敗してもみんなが『もっと次は頑張ろう』というチームを作るのが僕の責任ですから」とチーム代表の立場から俯瞰する。

 それまでのペース差を見れば、たとえスピンがなかったとしても、首位フェラーリには追いつかなかった可能性は高い。それでも平川が見せた攻めの走りと、『ル・マンの最終スティントを走る者にしか得られない経験』は、平川とチームにとって、この先に繋がるものであったはずだ。

「自分自身のミスから学び、さらに強くなって戻ってきたい」。記者会見の最後に、平川はそう絞り出した。

8号車トヨタGR010ハイブリッド(トヨタ・ガズー・レーシング) 2023年WEC第4戦ル・マン24時間レース

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