【特別寄稿】パチンコ産業の歴史⑮ パチンコバッシングと、パチンコ遊技機の自主規制(WEB版)/鈴木政博

創刊60周年記念にあたり、業界の歴史を振り返る意味において「パチンコ産業の歴史シリーズ」を再掲載しています。※この原稿は2011年8月号に掲載していた「パチンコ産業の歴史⑮」を一部加筆・修正したものです。

1. CR機による「パチンコ依存症」と、業界の自主規制
社会的不適合機の撤去以降、低迷した業界はその後「CR機2回ループ仕様」がファンに支持され大ブームを巻き起こしたものの、さらに「2回ループ+時短機」が各社より相次いで発売されるに至り、今度は「CR機の射幸性の高さ」が社会問題化した。パチンコに熱中しすぎて車中に置き去りの子供が亡くなる事件も頻発し、世間の注目を浴びた。「パチンコ依存症」という言葉が出始めたのも、この頃だ。さらには偽造カード問題も深刻化した。レジャーカード・ゲームカード(当時は別会社)の1996年3月期決算では変造による被害が計630億円にも達したと発表され、その後、高額カード(1万円・5千円カード)などが販売停止となり、最終的には全国共通カードですらなくなる、という歴史を辿る。

こんなパチンコバッシングの中、1996年7月には日遊協が「一回に5万円を超える勝ち負けをなくす」などの自主規制方針を発表し、さらに全日遊連・日遊協・日工組・日電協の4団体が「お客様への10の約束」を発表。「玉箱は手元に1箱、足元に3箱以上積まない」「モーニングの禁止」などを打ち出した。しかし全日遊連・都遊協が警察庁生活環境課長と保安課長へうかがった内容として「今後5万円までしか使えない遊技機にするという報道があるが、警察庁としては5万円でも高い。むしろ2万、3万円にして健全娯楽にすべきでは、との指導を受けた」と7月の都遊協理事会において発言。その発言を受け、遊技機メーカー各社は、当時の規則上で最も高い射幸性となる「2回ループ・オール16ラウンド・時短100回」というフルスペックの三洋物産製「CR大工の源さん」を最後に、メーカーごとで独自に自主的な販売自粛をはじめた。

例えば、当時発売されたSANKYO製「CRフィーバービッグパワフルEX」。当時の規則である「大当たりは50通りまで」をクリアしつつパワフルシリーズらしい9コマ8ラインを実現するために、今では当たり前となった「液晶画面は飾り図柄で、実際の特図はセグ」という画期的なアイデアを採用した機械だ。液晶画面で7が揃うより一瞬先にアタッカーが開く難点があったものの、2回ループのフルスペック機としては最終まで導入されていたこともあり、大ヒットした。しかしこの機種が自粛ムードの中でも販売できたのは、実は自主的に「9回リミッター」が搭載されていたという事情がある。そして1996年11月には、今後も販売する機種として各メーカーから個別に発表があり、ここでは「CRフィーバービッグパワフルEX」さえも姿を消し、突入率が4分の1の「FX」のみ継続販売となっている(別表1参照)。これ以降に販売された機種は、2回ループ機種も突入率が3分の1より辛かったり、ラウンド数が10ラウンドだったりなどで、フルスペック機は事実上、導入できなくなった。当時の機種の中で、確変2分の1で1回ループだった竹屋製 「CRモンスターハウス」は販売自粛の影響を受けなかったため、この機種が異例のロングヒットとなったのはご承知の通りだ。そのことの背景にも、この時の自粛が少なからず影響しているといえる。

SANKYO製
「CRフィーバービッグパワフルFX」

竹屋製
「CRモンスターハウス」

2. 日工組内規の改正、パチンコ冬の時代へ
また日工組としても、大きな決断を下していた。自主規制として、非常に厳しい内規へ改正したのである。内容としては、1996年10月1日より保通協に持ち込まれるものについて「①確率変動は次回までとすること(2回ループの禁止)」、「②確率変動の突入率・継続率は2分の1を超えるものでないこと」、そして「③確率変動の連続合計値が80ラウンドを超えないこと」を組合員に義務付けた。1回の大当たりが16ラウンドなら5回の大当たりで80ラウンドに達する。この場合、最高で5連チャンまでしか確変を継続出来ない事から「5回リミッター規制」と呼ばれた。

せっかく確変で当たっても、確変は最高5連チャンしかしないとなると、ファンもおのずと投資金額の上限が決まってくる。この「5回リミッター規制」の影響は大きく、パチンコ市場は一気に冷え切った。また、既に設置している2回ループ機を外すわけにはいかないホールとしては、当然「5回リミッター機」である新台の導入を控える。遊技機メーカーの業績にも大きな影響を与えた。こうして、日本社会のバブル崩壊という社会情勢下においても市場規模を拡大し続けてきたパチンコにおいて遂に「CRバブル」は終焉する。日本経済のバブル崩壊から遅れること6年後、パチンコは冬の時代を迎えた。

しかしこの業界には、苦境を乗り越える救世主が登場する。その機種は「クランキーコンドル」と「ウルトラマン倶楽部3」。もちろん「パチスロ機」だ。

(以下、次号)

■プロフィール
鈴木 政博
≪株式会社 遊技産業研究所 代表取締役≫立命館大学卒業後、ホール経営企業の管理部、コンサル会社へ経て2002年㈱遊技産業研究所に入社。遊技機の新機種情報収集及び分析、遊技機の開発コンサルの他、TV出演・雑誌連載など多数。

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