1998年にイタリア・セリエAへと渡ってから2006年に引退するまで、欧州で活躍を続けた中田英寿。
今回はその中田英寿のキャリアの中でともにプレーした選手の中から「最強の同僚ベストストライカー10名」を選んでみたぞ。
ヴィンチェンツォ・モンテッラ
中田英寿とプレーしたクラブ:ローマ
国籍:イタリア
キャリア通算成績:480試合228ゴール
現在:アダナ・デミルスポル監督
飛行機のゴールパフォーマンスで知られたイタリアの名ストライカー。エンポリ、ジェノア、サンプドリアで活躍してから1999年にローマへと移籍し、多くのゴールを決めた。
決して大柄ではなかったものの、優れた加速とテクニック、そして両足でシュートを打てる応用力を備えたゴールハンターであった。ただその一方、カペッロ監督からは「彼は利己的すぎる」と批判を受けたこともあり、あまりその関係はうまく行っていなかったという。
ガブリエル・バティストゥータ
中田英寿とプレーしたクラブ:ローマ
国籍:アルゼンチン
キャリア通算成績:551試合296ゴール
現在:引退
2000年にローマへ加入し、中田英寿とチームメイトになったアルゼンチン代表のストライカー。当時はすでにベテラン選手であったが、移籍初年度から20ゴールを決めて優勝に大きく貢献した。
技術面の高さやポジショニングに長け、そしてキャノン砲のようなパワフルシュートが代名詞だった。ヘディングやフリーキック、ペナルティキックも得意で、ゴールを決めた後の「マシンガンパフォーマンス」も多くのファンに愛された。
ハカン・シュキュル
中田英寿とプレーしたクラブ:パルマ
国籍:トルコ
キャリア通算成績:709試合332ゴール
2001年にインテルから加入したトルコ代表の長身ストライカー。190cmを超える身長と柔らかい足元の技術を活かして国内リーグ最高の点取り屋として多くの記録を作った。ただ国外ではあまり活躍できず、パルマでも15試合で3ゴールを不振だった。
引退後はトルコの政治家となったものの、テロ組織と指定されたギュレン運動に関わっていたとして逮捕され、アメリカへと亡命している。トルコにある財産のすべては差し押さえられ、Uber Eatsのドライバーとして働いているとも。
マルコ・ディ・ヴァイオ
中田英寿とプレーしたクラブ:パルマ
国籍:イタリア
キャリア通算成績:685試合259ゴール
現在:ボローニャ クラブマネージャー
ハカン・シュキュルが活躍できなかったパルマでエースストライカーとなったのがスキンヘッドのFWマルコ・ディ・ヴァイオだ。サレルニターナから1999年に加入し、2000-01シーズンに15ゴール、その次には20ゴールを奪取するなど、一時はセリエA屈指の点取り屋であった。
無骨な外見に似合わず、スマートな裏への飛び出しや巧みな技術、そして前線ならサイドでも活躍できる器用さを備え、ペナルティキックも得意だった。引退後は古巣でもあるボローニャのクラブマネージャーを務めており、中田英寿が古巣を巡るドキュメンタリーにも登場している。
アドリアーノ
中田英寿とプレーしたクラブ:パルマ
国籍:ブラジル
キャリア通算成績:405試合177ゴール
現在:引退
そしてマルコ・ディ・ヴァイオの後、2002-03シーズンにブレイクしたのが ブラジルの怪童アドリアーノだ。インテルから加入した時はまだ19歳だったが、圧倒的なフィジカルパフォーマンスとシュート力でゴールを量産。次年度には9試合で8ゴールとさらにブレイクし、インテルへと買い戻されていった。
ただ20代中盤からはピッチ外でのトラブルや規律違反もあって調子を崩し、アルコール依存やうつ病にも苦しめられ、ポテンシャルを発揮できず。現在でも「才能を活かせなかった選手」の一人としてよく取り上げられる存在だ。
アドリアン・ムトゥ
中田英寿とプレーしたクラブ:パルマ
国籍:ルーマニア
キャリア通算成績:528試合203ゴール
現在:ラピド・ブカレスト監督
アドリアーノ、中田英寿とともに伝説的な3トップ「トリデンテ」を形成したルーマニア人FWアドリアン・ムトゥ。巧みなドリブルと素晴らしい得点力を備え、2002-03シーズンは31試合で18ゴールを決める大活躍を見せた。
その後はロマン・アブラモヴィッチ氏がオーナーとなったチェルシーに引き抜かれたが、コカインの摂取が発覚して長期の出場停止に。後にフィオレンティーナで大復活を遂げるものの、再びドーピング検査で不合格に。ポテンシャルは高いが気難しい性格が問題だ…と言われていた選手であった。現在はラピド・ブカレストの監督。
アルベルト・ジラルディーノ
中田英寿とプレーしたクラブ:パルマ
国籍:イタリア
キャリア通算成績:643試合232ゴール
現在:ジェノア監督
アドリアーノ&ムトゥが抜けた2003-04シーズンにブレイクしたのがアルベルト・ジラルディーノだ。エミリアーノ・ボナッツォーリとのポジション争いを制した彼は2年連続で23ゴールを決める大活躍を見せ、2005年にACミランへとステップアップしていった。
長身でありながらも機敏でポジショニングに優れ、ペナルティエリアでのシュート意欲の高さを備えたストライカーで、イタリア代表でも57試合で19ゴールを奪っている。晩年には中国の盟主である広州恒大でプレーしたが、あまり東アジアの環境には馴染まなかったようだ。
ジュゼッペ・シニョーリ
中田英寿とプレーしたクラブ:ボローニャ
国籍:イタリア
キャリア通算成績:614試合265ゴール
現在:解説者
ラツィオで長く活躍したレジェンド的ストライカー。体が小さいためにインテルの下部組織を放出されたという経験をもつが、下部リーグで活躍を続けてステップアップしてきた叩き上げである。1992年からラツィオでプレーし、5年半で107ゴールを決めた。
その後サンプドリアを経てボローニャへと移籍し、2003-04シーズンに半年間のみ中田英寿と同僚となった。その後ギリシャでのプレーを経て引退し、評論家として活動していたものの、2011年に八百長に関わった容疑で逮捕されてしまった。一昨年の裁判で証拠不十分のため無罪となっている。
ハレド・ボルヘッティ
中田英寿とプレーしたクラブ:ボルトン・ワンダラーズ
国籍:メキシコ
キャリア通算成績:587試合299ゴール
現在:解説者
180cm前後の身長でありながらも「世界有数のヘディンガー」として知られたハレド・ボルヘッティ。メキシコ代表46ゴールの記録を持つ彼は、「砂漠の狐」という愛称を持つ名フォワードだ。
2005年にパチューカからボルトン・ワンダラーズへと移籍し、イングランド・プレミアリーグでプレーする初のメキシコ人選手となった。残念ながらカップ戦中心の出場だったこともあり、リーグではわずか2ゴールであった。
ケヴィン・デイヴィス
中田英寿とプレーしたクラブ:ボルトン・ワンダラーズ
国籍:イングランド
キャリア通算成績:818試合151ゴール
現在:代理人
そのボルトン・ワンダラーズのストライカーといえばケヴィン・デイヴィスだ。ゴールを量産する選手ではなかったものの、豊かな体格と豊富な運動量、献身的なプレーと恐れを知らぬコンタクトで活躍。世界有数のターゲットマンとして、「プレミアリーグの歴史上最も多くのファウルをした選手であり、最も多くのファウルを受けた選手」であったという。
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2015年に現役引退してからは指導者としてサウスポートを率いたが、その後は現場を離れてサッカー代理人会社「KCD Management」を設立。主に下部リーグの選手をマネジメントしている。