12日にこの世を去ったことが発表されたシルヴィオ・ベルルスコーニ氏。大物政治家として活動しながらACミランで長く会長を務め、その絶大なリーダーシップとカリスマ性でチームを多くのタイトルに導いた。
今回はかつて『Sky』がつたえていた「ベルルスコーニ会長時代のミランのベストイレブン」をご紹介する。
GK:ジャンルイージ・ドンナルンマ
ミラン所属:2013~2021
国籍:イタリア
ミランでの成績:251試合/0ゴール
現在:パリ・サンジェルマン所属
ミランの下部組織出身のドンナルンマ。ジーダやアッビアーティ、セバスティアーノ・ロッシを抑えての選出をされていた。当時はミランでデビューしてから間もない状況での評価だったが、それに値するだけのプレーをその後も見せていた。
残念ながら2021年に契約更新を拒否してパリ・サンジェルマンに移籍するというなかなかの行為に出てしまったため、ミランのファンからすれば複雑な感情があるかもしれない。
右SB:マウロ・タソッティ
ミラン所属:1980~1997
国籍:イタリア
ミランでの成績:583試合/10ゴール
現在:サッカー指導者
八百長スキャンダルで2部に降格したミランに加入し、それから17年間に渡って所属した名ディフェンダーのマウロ・タソッティ。アリゴ・サッキ監督やファビオ・カペッロ監督に愛され、クラブの歴史上最も優れたディフェンダーの1人と評価される。
1997年に現役引退した後もミランのユースコーチやアシスタントコーチ、暫定監督、スカウトと各種の役割を担い、2016年にウクライナ代表に移るまで長くクラブに貢献し続けた。
CB:フランコ・バレージ
ミラン所属:1972~1997
国籍:イタリア
ミランでの成績:719試合/33ゴール
現在:ミラン名誉副会長
ミランの下部組織から昇格し、トップチームで19年を過ごしたワン・クラブ・マン。鋭い読みとポジショニング、獣のように体を投げ出す勇気、さらにカリスマ的なリーダーシップと優れた身体能力を備えた伝説的なスイーパーであった。
ミランとイタリア代表の両方でキャプテンを務めた彼は、1997年に引退後すぐにミランで幹部となり、さらにフラムでスポーツディレクターに就任。実は稲本潤一が加入したときの現場を仕切っていたのが彼だった。その後ミランで指導者をし、2008年からはマーケティング部門に移った。現在は名誉副会長。
CB:アレッサンドロ・コスタクルタ
ミラン所属:1979~2007
国籍:イタリア
ミランでの成績:663試合/3ゴール
現在:解説者
ミランでの出場試合数は歴代3位となっているアレッサンドロ・コスタクルタ。子供の頃はバスケットボールで活躍したという彼は、1986年にトップチームへと昇格した後20年以上ミランに所属した(一度モンツァに貸し出されているが)。
主にセンターバックとして活躍したが、晩年にはディフェンス重視のサイドバックとしても存在感を示した。そして2007年の引退試合ではPKで当時のセリエA最年長ゴールを決めている(後にズラタン・イブラヒモヴィッチが更新)。
左SB:パオロ・マルディーニ
ミラン所属:1978~2009
国籍:イタリア
ミランでの成績:902試合/33ゴール
現在:ミラン前テクニカルディレクター
クラブの歴史上、最も多くの試合に出場した最高のレジェンド。ミランでプレーした父チェーザレの下に生まれ、彼自身も下部組織からそのままトップチームへ昇格し、引退までロッソネロ一筋にプレーし続けた。
2009年に引退後はチャリティ活動やクラブ経営に関わりながらアメリカで生活していたが、2018年にミランからディレクター就任要請を受けて復帰。次年度からはテクニカルディレクターとして強化を担当したが、クラブとの意見の相違により今季限りで解任されることになった。
MF:フランク・ライカールト
ミラン所属:1988~1993
国籍:オランダ
ミランでの成績:201試合/26ゴール
現在:元サッカー指導者
スポルティングCPからレアル・サラゴサにローン移籍したあと、1988年にミランへとやってきたライカールト。アリゴ・サッキ監督の下でディフェンダーからセントラルMFにコンバートされ、世界屈指の選手に成長した。
身体能力と守備センス、素晴らしい戦術眼と攻撃力、あらゆるプレーがハイレベルだったパーフェクトなミッドフィルダーであり、多くの選手に影響を与えた存在だ。引退後は指導者として活動し、2003年から率いたバルセロナではロナウジーニョらを擁して世界を席巻している。2016年に監督業を引退している。
MF:アンドレア・ピルロ
ミラン所属:2001~2011
国籍:イタリア
ミランでの成績:401試合/41ゴール
現在:サッカー指導者
ブレシア、インテル、レッジーナでトップ下として失格の烙印を押されたピルロ。2001年に2度目のプレシア加入で名将マッツォーネ氏によって「レジスタ」へとコンバートされた。そしてその後ミランへ加入し、深い位置から正確無比のロングパスでゲームを作る世界的司令塔に成長した。
2011年に契約が満了となってミランを退団した後もユヴェントスで大活躍し、イタリア代表でも長く中心的な存在となった。2017年にアメリカで引退した後は指導者になり、ユヴェントスとファティフ・カラギュムリュクを率いている。
MF:クラレンス・セードルフ
ミラン所属:2002~2012
国籍:オランダ
ミランでの成績:452試合/62ゴール
現在:サッカー指導者
フランク・ライカールトと並ぶ2000年代最高のオールラウンドMF。インテルから2002年に加入し、10年間に渡ってミランで中心選手に。その後ボタフォゴでプレーしていたが、ミランから監督就任のオファーを受けて現役引退を決断し、指導者として復帰するという男気を見せた。
もちろん知られているように3つの異なるクラブでチャンピオンズリーグ優勝を果たした世界初の選手でもある。ミランを解任になったあとはどこのクラブも率いていない状態だが、指導者としては活動し続けている。
FW:ルート・フリット
ミラン所属:1987~1993、1994
国籍:オランダ
ミランでの成績:171試合/56ゴール
現在:サッカー指導者
低迷していたミランを復活させるため、ベルルスコーニ会長が熱望して獲得されたフリット。前所属のPSVではエースストライカーとして得点を量産したが、ミランではファン・バステンらをサポートしながらチームに大きく貢献した。
アリゴ・サッキ監督には愛されたがファビオ・カペッロ監督にはそれほど好かれず、1993年にはサンプドリアへ貸し出され、1995年にはチェルシーへと移籍。そこではジャンフランコ・ゾラらとともに活躍を見せ、選手兼監督として指揮も執っていた。
FW:マルコ・ファン・バステン
ミラン所属:1987~1995
国籍:オランダ
ミランでの成績:205試合/128ゴール
現在:FIFAテクニカルディレクター
まさにガラスのエースのような存在だった。1987年にアヤックスから加入した彼は、圧倒的なシュート技術であらゆるボールをゴールに叩き込んだ。アクロバティックな動きと優雅なプレー、そして何より圧倒的な得点力があった。
その一方でそのキャリアは大きな怪我との戦いでもあり、2年間リハビリの生活を送った後、1995年に30歳で現役を引退。そのキャリアの儚さも含めて多くのファンに今なお愛されている。
FW:アンドリー・シェフチェンコ
ミラン所属:1999~2006、2008~2009
国籍:ウクライナ
ミランでの成績:332試合/175ゴール
現在:サッカー指導者
名将ヴァレリー・ロバノフスキーが率いたディナモ・キエフで活躍した二代目「ウクライナの矢」。1999年にミランへと加入してからもゴールを量産し続け、毎年のように2桁得点を叩き込んだ。一度チェルシーに移籍したが、その2年後に復帰するなどクラブとの関係も非常に深かった。
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引退後は政治家として働いた後に指導者へと転身し、ウクライナ代表のアシスタントコーチと監督を歴任。2021-22シーズンにはイタリアに戻ってジェノアを指揮している。