阪神・淡路大震災の復興の思い出に一区切り ボランティア100人再会し「大同窓会」 神戸・長田の真野地区

町を歩いて見つけた変化を地図に書き込む大同窓会の参加者たち=神戸市長田区東尻池町6

 阪神・淡路大震災で大きな被害を受けた神戸市長田区の真野地区で10日、震災復興や住民運動に関わってきた人たちによる「真野まちづくり大同窓会」があった。震災復興を祈って2000年から5年ごとに開いてきたが、高齢化で発足当時のメンバーが減少。住民たちは「これで最後」との思いで、震災30年の節目を待たずに前倒しした。(小野坂海斗)

 同地区は東尻池町や苅藻通などにまたがり、1960年代の公害反対運動を機に、住民主体のまちづくりが始まった。震災当時の人口は約5500人。早朝の激しい揺れで約6割の建物が全半壊し、19人が亡くなった。火災で43戸が焼失したが、住民や地元企業「三ツ星ベルト」の自衛消防隊が協力し、バケツリレーで延焼を食い止めた。

 震災後、住民たちが一丸となって町を再建してきた。多くのボランティアも携わり、住民を支えた。震災5年後から犠牲者を悼み、復興を願う集会を開催。ボランティアも交え、回を重ねてきたが、地元の中心メンバーの多くが亡くなり、今では5人ほどに。その1人、清水光久さん(83)が今年3月、2年前倒しで開くことにした。

 大同窓会当日、会場の真野地域福祉センター(同区東尻池町6)には、全国から約100人が集まった。「真野とのなれそめ」と題し、参加者がまちづくりに関わるようになった経緯を発表したほか、地域を巡って、町並みの変化を地図に書き込んだ。真野のランドマークだった三ツ星ベルトの広告塔が撤去されるなど、参加者たちは感慨深げに語り合った。

 京都から参加した男性(53)は、震災1カ月後にボランティアとして同地区に入った。「当時は大学生。京都と真野を行き来して物資の配給などを手伝った。町のみなさんには仲良くしてもらった記憶しかない」と懐かしんだ。

 最後は震災の犠牲者だけでなく、すでに亡くなった復興の功労者たちにも黙とうをささげた。

 集会を「最後」とするつもりで大同窓会と名付けた清水さん。「これで終わりではなく、再出発の日にしたい」という参加者の言葉を耳にして、ほほ笑んだ。「若い世代に真野の未来を託したい」。大同窓会が、震災後のまちづくりに携わってきた住民たちの思いも引き継ぐ場となった。

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