【新日本】永田裕志が6.18千葉・佐倉大会をプロデュース!三冠王者としての重責や現在の心境を激白!!

新日本プロレスの永田裕志が6月18日、自身がプロデュースする「永田裕志Produce Blue Justice Ⅻ ~青義回帰~」千葉・佐倉市市民体育館大会について、プロレスTODAYが独占インタビューを実施。

現在、全日本プロレスの三冠王者として自身が大会をプロデュースする佐倉市民体育館大会の見所と意気込みを伺った。

そして改めてメジャー王座グランドスラム達成の感想や、自身を奮い立たせるもの、現在参戦する全日本プロレスやプロレスリング・ノアと新日本プロレスの違い、三冠王者として今後の目標、また同世代の方に向けてメッセージなど、多岐に渡る質問を行った。

前後編でお届けする独占インタビュー、今回は前編を掲載。

①6.18千葉・佐倉市民体育館大会の見所と意気込み

■NEW JAPAN ROAD ~ Road to STRONG ~
<永田裕志Produce Blue Justice Ⅻ ~青義回帰~>
開催日時:2023年6月18日(日)14:30 開場/16:00開始
会場: 千葉・佐倉市市民体育館
チケット情報:
対戦カード:

――今月18日に、千葉・佐倉市民体育館でプロデュース大会を開催されます。こちらの見どころや意気込みをお伺いできますでしょうか。

全8試合の大会となります。今まではずっと地元の東金市で行ってきたわけなんですよね。10回開催して、一度だけ後楽園で弊社・ナガタロックで開催しました。

どちらもかなり盛り上がったので、これを千葉のいろんなところで盛り上げていきたいという気持ちがあったんですよね。

そこで今回開催する佐倉市民体育館というのは、僕がレスリングデビューした場所なんです。

――ご自身、思い出の地だったんですね。

レスリングを高校から始めて、最初に試合したのが84年の6月。そのときがこの佐倉市民体育館だったんですよね。だからいつかここでプロになったらやりたいという思いがありましてね。
企画自体は2018年頃にやりたいという話をして市役所の方を紹介してもらったら、僕と同級生でね。レスリングの選手で八千代松陰高校出身の、藤田和之くんの2年先輩の方で。

――それはびっくりでしたね。

その彼が後押しをしてくれて、日程を決めようということになったんですけど、なかなか日程が合わなくて…。そうこうしているうちにコロナが世の中を襲ってきたので一旦話がストップしてしまって。

でも昨年夏くらいに1年後くらいにはおそらくコロナが終息してくるだろういという予想がありましたので、久々に彼に連絡したんですよ。来年あたりやりたいんだけど、と。そしたらぜひやっていただきたいと言っていただいたので、6月18日にということでね。

新日本プロレスとも話をして、佐倉市民体育館の予約も取って。実は予約も結構大変だったんですよ、佐倉レスリング協会の方にもご協力いただいていただいて、日程を空けていただきました。

――ありがたいですね。

そうですね。また、佐倉のレスリングチームには東金に来てもらったときに、お子さんは招待させていただいてたんですよ。そしてリング上で試合前にちょっと簡単なレスリング教室をやらせてもらって。

だからお子さんの中には、プロレス行くのが楽しい、またその親御さんがプロレスを楽しみにしてきてくれるという下地を作っていたので。今回そういう過去にやった実績が認められたのか、レスリング協会さんにいろんなご協力をいただいたので本当にありがたかったですね。

――なるほど。そして今大会はなかなか見られないカードが組まれていますよね。第6試合では、エル・デスペラード選手、成田選手、海野選手が組むという。普段はこの3人で組むということはないですよね。

©新日本プロレス

まあでもSTRONG STYLEという名目で、成田とデスペは組んでますよね。いつもはそこに鈴木が入るんだけど、今回はそこに成田と同世代の(海野)翔太が入って。なんだか新しい風景に見えますよね。

――そうですね、ちなみに現在「新世代」と言われている海野選手、成田選手を見てどのように思われますか?

どんどん行ってほしいですね。図々しいくらいに(笑)。そういう若い選手のエネルギーが、上の世代のオカダとかSANADAに波及していくでしょうし、今まで彼らが見せなかったチカラというか、怒りというか、そういうものが見えてくると思うんでね。ある意味上の世代にとっても、一つの新境地開拓になって面白いんじゃないかなと思いますね。

©新日本プロレス

――永田選手は今まで、上の世代、下の世代と本当に長い闘いを繰り広げられて。なおかつ、他団体にも戦場を求め、広い視野でプロレス人生を歩んでこられましたよね。昔だと、なかなか禁断の扉を開けられないなというときに、秋山選手とともにそういう扉も開いてきて本当にエネルギッシュに活躍されています。

考えてみたら確かにね。そういうエネルギーも有り余ったってたわけじゃないですけど、このエネルギーがどこまで続くんだっていうくらい吐き出していろいろやってきましたね。

――当時は、どうやってそういう道を切り開いてきたのですか?道を切り開くって、相当しんどいですよね。上の人にも理解を示してもらわないといけないわけですし。

そこが一番大事ですよね(笑)。最初は、自分の現状を何とか打破したいという思いがある中で、たまたまZERO1の旗揚げに自分が出場したいという意思を夕刊紙に投げてね。それに興味を持った橋本真也さんにお声掛けいただいて、それを筋として新日本プロレスに通した結果、参戦することが出来たんですよね。

そしてそこで、秋山準選手と繋がるテーマが出来て。彼自身も永田のそういう活動に刺激を受けたのか、自分はこのままではいけないと思ったのか、新日本に上がりたいと吐き出したんですよね。その結果、新日本プロレスとプロレスリング・ノアが実際に動いてくれたことで実現できたというね。

やっぱりそういうことをやる上で筋を通してきたということが最終的にはよかった、情熱プラス筋を通したことがよかったんじゃないですかね。

※104代アジアタッグ王者・秋山準&永田裕志

――それが今の全日本を始めとする多方面での活躍にも繋がっているんじゃないかなと思います。そして、今大会ではメインイベントではその全日本プロレス勢との対戦が組まれています。

新日本をしばらく離れて全日本で闘ってる中で、いきなり僕が新日本の闘いの枠に入っていくのは難しいだろうというのがあったので。逆にその全日本プロレスさんで闘っている流れを持ってきたらどうかなということで会社の方に相談しました。今年になってちょこちょこ全日本プロレス繋がりが出てきている中で、だいたい(選手同士)繋がってるんじゃないかな。

――そうですね、その一つとして棚橋選手と宮原選手が今回対角に立つというのも面白いなと思いました。こちらはいかがですか?

©新日本プロレス

「ALL TOGETHER」では、組んでましたもんね。この辺は、僕がどうとか言わなくてもファンの方が楽しみなんじゃないかな。過去にも何回か組んだり闘ったりしてますけど、これが楽しみと思ってもらえるんじゃないかと思って(対戦カードを)組ませていただきました。

――これ佐倉市民の方も本当に楽しみなカードが組まれたんじゃないかなと思います。これは永田選手のプロデュース能力のおかげですね。

いや、もうこれは会社の方が許可してくださらなければ出来なかったことなのでね。こちらの願いを全て聞いてくれた会社に感謝ですね。

➡次ページ(プロデュース興行の醍醐味、メジャー王座グランドスラム達成の感想)へ続く

②プロデュース興行の醍醐味

――何度もプロデュース興行を開催されてますが、選手としてプロデューサーとして、プロデュース興行の醍醐味みたいなものはいかがですか?

そうですね。最初は地元・東金でやりましたけど、もう本当にあの頃は本当に会社が厳しい中、千葉県のプロモーターさんもいなくなってしまって。新日本の営業の社員から地元でやってみませんかって声かけていただいたんですよね。

――それが最初だったんですね。

今だったらやり手もいないし、地元で出来ると言われても半信半疑だったんですけど、当時自分自身の個人会社を作ったばかりでしたので、これを一つの事業としてやれたらなと思ったんですよね。でもどうやっていいか分からない。

地元では、両親が何十年教員をやっていたのと、おじさんが不動産関係、僕は高校まで東金だったけど後は東京なので戻ってきてもそんなに交流なかったんですよね。だから20何年ぶりに地元の仲間と会うのは、すごい不安でしかなかったんですよ。

でも向こうは僕のこと見てくれていてね、本当に歓迎してくれて。いろいろ協力もしてくれたので、本当にありがたかったですね。今は人気も回復してきているので、プロモーションをやればプレイガイドでも反応があるんでしょうけど、あのころは本当に人気が低迷して厳しい時代だったので、いろんなところに顔出してご挨拶して、ぜひよろしくお願いしますって挨拶周りをして。

チケット売るのと、選挙の票獲得するのってなんか似てるよなって感じしちゃいましたよね。でも地元の方も協力してくれる、そういう方々と触れ合って、その中でお互い信頼関係を築いて大会を成功させたときの喜びというのはもう格別でしたね。

――産みの苦しみもあったわけですね。

最初は2年にいっぺん、やれればいいと思ったんですよ。やっぱり毎年ってなっちゃうと、お客様にお願いするのもお客様も大変だなと思っていたんですけど、新日本プロレスの人気も回復してきて、毎年やってほしいという声をたくさんいただいたんですよね。だから2016年からは毎年開催することにしました。

――今回は全日本プロレスの三冠ベルトも保持しながらの自主興行ということで、重責もあるかと思いますが、ご自身のやりがいみたいなものも大きいんじゃないですか?

そうですね、自主興行でベルトを巻いてプロモーションが出来るというのは、最初の2007年以来のことで久しぶりなので…。三冠ベルトという日本プロレス界の歴史と伝統が詰まったベルトを巻いて、こうやって皆様の前に立って闘えるというのは本当に感慨深いというか、ありがたいというか、喜びが大きいですよね。

――選手としても感慨深いということですが、プロデュース興行ということなので前準備が本当に大変だったんじゃないですか?

結構きますね(笑)。でもそれはそれでやりがいと、いろんなサポートをしてくださる方々への感謝をすごく感じられますね。協力してくださる方々には、本当に感謝の一言ですし、その想いをもって必ず成功させなきゃという責任はありますね。

③メジャー王座グランドスラム達成の感想(リーグ戦・タッグ王座全て獲得)

©全日本プロレス

――改めて振り返るとメジャー団体王座のグランドスラム、そして各団体でのリーグ戦、タッグ王座のグランドスラムを全て達成しています。永田選手以外はまだ誰も成し遂げてない実績ですが、こちらについてご自身ではどうお考えですか?

三冠ベルトだけは、もうここ何年か縁がないなとそう感じていたんですよね。でも長いことやってると、不思議な事がありますね。急に昨年、全日本プロレスに参戦することが決まって、その中で時間をかけてベルト挑戦表明をしたんですけど…。

僕そのときあまり調子がよくなかったんですよね、膝をやっちゃって。1回目は宮原くんに拒絶されて、2回目でようやく受け入れられたんですけど…。三冠ベルトは獲るのが本当に大変でしたね。

怪我との戦い、周りを認めさせる戦い、もう本当に心が折れそうになったんですけどね。自分を信じて、怪我と向き合って、それにはもう膝の治療にはお金をかけましたよね(笑)。

――体のメンテナンスもいろいろされたんですか?

西洋医学も東洋医学も使って。そして何とか持ち直してタイトルマッチを迎えることができて。ほかの新日本の選手のたくさん出てましたけど、それこそ永田が挑戦するということで新日本プロレスのファンの方々がたくさん来ていただいて、ね。

メインであれだけの声援を送ってくれた新日本プロレスのファンの方と、全日本プロレスの既存のファンの方、後楽園でああいう空間を作ったのは、久々に大きな熱を感じましたね。勝って喜びもひとしおですけど、責任を果たした、ほっとしたというか責任感から解放されたというものが大きくて、印象的でしたね。

――三冠王座を獲られて、メジャー団体全てのベルトを獲ったという実績はかみしめられましたか?

©全日本プロレス

前にリーグ戦3団体獲ったときに、「三冠ベルト獲っちゃえ!」って言われたんですけどね。そればっかりはもう、よその団体ですしね。タイミングもあるけど、全日本さんが永田を使ってくれなければ獲れないわけですし。

53、4(歳)になったころでしたし、もうチャンスはないなと正直思ってたんですよ。ただ、プロレス人生の最終目標であるもう1度IWGP王座を獲るというのはずっと持っていて、常に体調づくりなどをしていたことが、ここで役に立ったかなという感じです。

――なるほど。やはり小島選手がGHC王座を獲ったというのも、発奮材料になったんでしょうか?

まあ意識はしましたね。ちょうどそのころに全日本さんに出ることになったんですけど、果たしてどういうタイミングで行くべきかと。そこは焦ることなく、戦況をしばらく見てましたね。まあ王道トーナメントは準決勝で負けちゃいましたけどね。
そのあと、安齊勇馬のデビュー戦やったり、安齊と最強タッグ出場したりと割と若手育成をやったりして。でもそういうようなことをやっている中でチャンスが来て、周りからは賛否があった中で、それでも永田にチャンスが来てベルトを獲れたというのは、本当に正直嬉しかったですよね。

――すごかったです。

こんな言い方をしていいか分かりませんが、やはり新日本プロレスの若い世代が伸びてきてくれたから。僕がもしIWGP戦線にずっと自分が残っていたら、他団体に行ってベルトに絡むこともなかったんじゃないかなと思いますね。

ある意味会社の盾となって異種格闘技戦とかも出たりして、そこで傷を負った永田が主力から外されて。棚橋とか中邑がIGWP戦線の柱としてやっていかざるを得なかった中で、当時はくそくらえみたいな感じで自分を磨いてましたけどね。

そういう新日本からあぶれた永田裕志を他団体が認めてくれて、例えばチャンピオンカーニバルとかね、プロレスリング・ノアさんからグローバルリーグに呼んでいただいたりというのが繋がったんじゃないですかね。多分、柱としてはあれだけど外敵としてはいいんじゃないかと(笑)

――(笑)

だから他団体に出るときは、自分の中では、柱ではなく外様として出てくるといった住み分けをした戦い方というのは意識してきたつもりです。

※後編は近日公開

インタビュアー:山口義徳(プロレスTODAY総監督)

■NEW JAPAN ROAD ~ Road to STRONG ~
<永田裕志Produce Blue Justice Ⅻ ~青義回帰~>

開催日時:2023年6月18日(日)14:30 開場/16:00開始
会場: 千葉・佐倉市市民体育館
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