⻑谷川海音によるバンドプロジェクト"のの"、内省的探求心のあらわれた新曲「paranoid」配信リリース!

2019年より始動した⻑谷川海音によるバンドプロジェクト“のの”が約3カ月ぶりとなる新曲「paranoid」を配信シングルとしてリリースした。 同曲は、思考に深く侵されてゆく様を描いた、内省的探求心のあらわれた曲。 メランコリックなムードの中にどこか祝祭感がにじみ出ており、特にラストのサビの扇情的なギターフレーズは、舞いのぼっていくような高揚感を演出している。印象的なリフや、時折り顔を覗かせるコーラスワークが、みぞおちに厚く響くようなビートに揺られる。 ポップとロックの狭間で鳴る“のの”の独特のセンスを感じていただきたい。

昨年11月リリースの記念すべき1stアルバム『ACT TOUGH』に続き、12月には新体制初となるシングル「ひこう船」、3月には「バウムクーヘン」をデジタルリリース。アルバム収録の「フィラメントにキスをして」では各配信サイトでキャリアハイとなる数のプレイリストに選出され、大きくリスナー数を伸ばしている。

長谷川海音(Vo./Gt.)コメント

よく、考えごとをしながら散歩をします。ときには深夜、家を抜け出して。

きっと答えに行きつくだろうという目論見をもって始めた思考が、何らかの結論に至ったとき、その根元には必ず、「これは正しいだろう」という確かな前提があります。

よく反芻したのち、しっかり踏みしめたはずの前提。でも、その前提がやはりまちがっていたら?

頭の中にはいつも、疑り深いひねくれ者がいて、思考はまたすぐに振り出しに戻ってしまいます。

考えれば考えるほど、流砂に沈んでいくように、わからなくなっていくことばかり。それは同時に、考えうる可能性が無限に拡散してどこまでも伸びていくことを悟り、何もかもわかってしまったように感じてしまうことでもある。

なるほど、どこかでスッパリと「考えることをやめる」選択をするのは、潔く、賢明であるということに、その時気づくんですね。

しかし、思考をやめた途端に、不穏な影が近づいてくるような気がする。浮力のない液体の中に漂うような居心地の悪さに、胸が侵されていく。

だからまた、考え始めてしまう。

ぐるぐると回るループに心底嫌気がさして、溺れそうになりながら、なんとか縋ることのできる流木を探します。好きなものや、形のないふわふわとした心地よい感覚。それはただ、近くにあっただけかもしれないし、狭い視野の中で、光ってるように見えるだけかもしれません。でも結局、そんなものたちが自分を守るよすがになってくれる。それらに執着することが、自分の存在を確かなものにしてくれる気がする。

そしてもしかしたら、目の前の大切な人も、同じかもしれない。その人が偏って見えるのは、僕が偏っているからかもしれない。

だから、その人の偏執ごと愛してみたいと、そうしたら少し息がしやすくなるだろうと、そう思うのです。

それは翻って、自分自身を愛することなのだから。

そんな面倒くさくて回りくどい、偏屈な思考癖を、投げこむような気持ちで曲を書きました。昨年末の「ひこう船」、3月の「バウムクーヘン」に続き、現在の僕の内省的な世界観を反映させた三部作を締めくくる曲、といった位置付けです。だけど、むしろあまり深く考えることなく、メランコリックなムードを感じながら、ゆらゆら聴いてもらえたらな、と思っています。

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