伝統の復活:井田塩1500年の歴史と日本の食文化

日本は山と海に囲まれ、四季折々の風情が深く根付く国です。特に、食文化は自然からの恵みを大切に受け止め、それを活かす技術と知識が凝縮されています。その中でも、おくだ荘の手がける井田塩は日本食文化の真髄を感じさせる存在です。

日本一透き通る「井田ブルー」と称される海

井田塩が生まれた地、静岡県沼津市井田地区は、人口約40人の小さな村でありながら、一流の塩が生まれる地です。味の決め手となる美しい海、駿河湾は富士山の恵みが直接流れ込み、そして日本一の深度を誇る神秘的な海です。井田海岸は特に内湾のため波が立ちづらく、その海水の透明度は毎年環境省の水質調査で国内最上級の評価をもらうほどです。

2020年は沖縄・宮古島と並び全国1位にも輝き、ここでしか見られないその美しい色は「井田ブルー」と呼ばれてダイバーたちのあこがれの地となっています。

国立公園にも指定されている緑豊かな木々

その美しい海を囲むのが、富士箱根伊豆国立公園にも指定されている豊かな山々です。おくだ荘の井田塩は、この美しい駿河湾の海水を汲み上げ、薪の火力だけで一気に炊き上げます。

使われる薪は、井田産の天然の杉や檜、桜に松といった四季を感じさせる豊かな木々。その強い火力で、井田塩は粒が細かく繊細な出来上がりになります。この製法により、井田塩は他の塩とは一線を画す強い旨味と、ミネラルを凝縮した優しい味わいを持ち合わせています。

1500年前から受け継がれてきた井田塩

井田塩の名前の由来は、約1500年前の歌にも見つけることができます。「角山の麓の 塩のくすりにて 井田ともいふぞ 内裏から名に」。これは第20代安康天皇が詠んだもので、安康天皇が角山の麓で作られた塩で病気が「癒えた」ことから、「井田」の名が付けられたと伝えられています。

それが、宮中では塩のことを「イタ」と呼ぶ習慣の始まりだとも言われています。

失われた伝統技法とその復活

しかし、時代が進むにつれ、この貴重な井田塩は忘れられていきます。そんな中でも井田塩を守りたいと思う一人の男性がいました。

その方が、おくだ荘の奥田三樹夫氏です。彼は、2005年ごろから井田塩の製法を研究し、再び世に送り出すことを決意しました。およそ16年前のことでした。民宿業の傍ら当時の文献や塩の製法情報を集め再現し、美味しい塩の作り方を研究する日々でした。

その結果、井田塩は1500年の時を超えて再び生まれ変わりました。そして、現在ではその美味しさから料理人や食通の間で非常に高い評価を得ています。

井田塩の製法を守り続ける奥田氏の努力と情熱は、日本の伝統的な味を再評価し、それを次世代に伝えるという強い願いが込められています。

井田塩は、美しい海と豊かな山々、そして人の手間と情熱が生み出す、日本の美味の秘密を感じさせてくれる一品です。この塩が、多くの人にとって日本の食文化とその深さを理解する一つの窓となることを願っています。

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