カリスマ創業者から受け継いだ志 神戸のジャズライブ&レストラン「ソネ」 親子3代で「心地よさ」追求

創業者の思いを受け継ぎ、明るく来店者をもてなす3代目の曽根正太郎さん=神戸市中央区中山手通1、ソネ

 港町の音楽シーンを彩ってきた神戸・北野坂のジャズライブ&レストラン「SONE(ソネ)」。創業から半世紀以上、親子3世代が個性を発揮しながら、一貫して「心地よさ」を追求してきた。自然と体が揺れるような響きを、もっと身近に。老舗のポリシーは、そのまま神戸ジャズの魅力を形成している。

 ソネは1969(昭和44)年、曽根桂子(1926~2010年)が創業。スタンダードなスウィングジャズを中心に一流の演奏を客に届け、親しみやすい雰囲気を大切にした。

 「あらー、いらっしゃい」。ソプラノボイスで桂子は明るく接客した。長男で2代目オーナーの辰夫(71)は「店内全部に響くようなよく通る声で、今も裏声でまねをするお客さんがいます」と語る。

 「母は『ありがとう』『すごい!』と喜ぶお客さんの表情が好きだった」と辰夫。ソネの名は海外までとどろいた。

 元気に店に立ち続けた桂子だったが、2010年8月、別荘の階段で転倒し、大けがを負って急逝する。

 「これからソネはどうなるのか」と常連客は不安がった。「カリスマのような母やったので、大事件でした」と辰夫は振り返る。

 「でも、おかげさまで相変わらず繁盛店で続いている」。40代までプロのコントラバス演奏者として活動した辰夫は今、出演者のキャスティングを担う。選ぶ基準は「心地よいメロディーとリズム、アドリブをパフォーマンスできるかどうか」だという。

 「懐かしい曲に癒やされるというお客さんが多い。純粋にライブ演奏を楽しんでいただく。その部分を継承しているからこそ、続いているのかも」と思う。

 「ジャズでは、ミュージシャン同士が『あんたはこういうとる。じゃあ、こう返事するわ』と音で会話する。世界共通で自由に話せるし、楽しい」

 自らもとりこになった世界だ。「『生の音っていいな。難しい音楽とちゃう』と思ってもらえたら。演奏者とお客さんの気持ちが通じ合うのが、神戸らしいジャズじゃないですか」

 辰夫は「私は愛想なしでぶっきらぼう。でも、息子はお客さんを愉快にさせる。母の気質を受け継いどるんじゃないですか」。長男で3代目の正太郎(42)は、10代から芸能活動をし、ダンスボーカルグループなどで活躍した。ソネは「優しいおばあちゃんがいるただの実家だった」と語る。

 しかし、30代になって東京から大阪に移り、会社員生活をするうち、取引先の人らが「ソネ」の名を挙げ、思い出を語る場面に何度も遭遇した。「えっ、そんなにすごい店なん。このまま無くなったらあかんやん」。8年ほど前、神戸に戻って店を手伝い始めた。

 インスタグラムなどSNSでの発信にも力を入れ、客足が遠のいたコロナ禍の最中は新たな客層を開拓しようと、土曜日昼の喫茶営業も試みた。「ここ半年ほどは『やっとお店に来られました』としみじみ語ってくれる方が多い」と喜ぶ。近年は若者のファンが増え、手応えを感じる。

 「ジャズって『なんかいい』。人を好きになる理由と同じで、語り尽くせない良さがある。どこまでも突き詰めたくなる。身を委ねてほしい」と思いは熱い。

 「『ソネを訪れるため、神戸に来た』と、より多くの方に言ってもらえるよう頑張りたい。『気軽に楽しんでもらう』が理念。ジャズを神戸の文化としてもっと広めたい」と意気込む。

 いつも入り口近くのカウンター前に立つ。「いらっしゃいませ」。明るく高い声で語りかけ、初めて訪れた客の緊張をほぐす。常連客から「おばあちゃん見てるみたいやわ」と言われると、素直にうれしい。

 海外からの旅行客には来店時に「どこから来たの」と尋ね、帰るときは相手の母国語で「ありがとう」と送り出す。「自分がされてうれしいことをする」。おもてなしの心は確かに引き継がれている。=敬称略=(小林伸哉)

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