片道5時間かけて稼ぎは200円──コンゴ民主共和国 紛争から避難した先でも続く苦難

丘の上からキブ湖を眺めるMSFのスタッフと子ども © Igor Barbero/MSF

コンゴ民主共和国(以下、コンゴ)の東部にある南キブ州。現在、この地に、紛争の続く北キブ州から8万人以上の人びとが避難している。国境なき医師団(MSF)は、彼らへの人道援助のため、緊急対応に当たっている。

仕事のために10時間歩く避難民

南キブ州の丘陵地帯ヌンビ。人里離れた寂しいところだ。夜が明けると同時に、レーマさん(35歳)は子どもたちを連れて動き出す。このヌンビから仕事場のある商業都市カルングまで、徒歩で5時間はかかる。

上の子の一人が赤ちゃんのイナサちゃんを背負い、レーマさんと他の子たちが荷物を背負う。ヌンビを出発して、雨でぬかるんだ丘陵を進んでいく。

カルングは交通上の要衝となっている栄えた都市だ。しかし、そこまでの道は険しい。熟練したオートバイ乗りでも苦労するデコボコ道が続く。

泥の中からオートバイを引き上げようとするMSFスタッフたち © Igor Barbero/MSF

レーマさんは、仕事のために往復10時間を日々歩き続けている。「坂道が多いのでクタクタですよ。帰ってくる頃には、足がとても痛くて」とレーマさんは語ってくれた。仕事の賃金は1日3000コンゴフラン。日本円に換算すればおそよ200円だ。この収入の中から、一家が住んでいる部屋の家賃を捻出している。ヌンビにある小さな土壁の部屋だ。

残ったお金で穀物を買い、余りがあれば石けんを買っています。子どもたちが一晩中お腹をすかせてしまうこともあって心労が絶えません

国外からは見えない危機

レーマさんと4人の子どもたち © Igor Barbero/MSF

レーマさんは、隣接する北キブ州の紛争から逃れて、ここ南キブ州のヌンビにたどり着いた。レーマさんと同じように故郷を追われた人びとは、この1年間で約100万人に及んでおり、そのうち8万人が南キブ州に逃れている。 レーマさんの話が続く。「もともとルバヤというところに住んでいました。2月のある日、軍人たちがやってきたと思ったら、銃声が聞こえてきたのです。戦闘に巻き込まれるのはごめんだと思って、他の数百人の人びとと一緒に故郷を離れました。何も持たず、4人の子どもたちだけを連れてね」 ヌンビに避難している人びとの存在は、国外からはほとんど見えてこない。キブ紛争という危機そのものに対する注目度が低い。その上、難民キャンプなどに収容されるのではなく、避難先の世帯に受け入れてもらったり、小さな部屋を借りて暮らす人びとが大半を占めていることも大きい。注目度の低さに比例するかのように、ヌンビの避難民への人道援助はごくわずかにとどまっている。

この点について、南キブ州でMSF緊急対応コーディネーターを務めるウルリッヒ・クレパン・ナムフェイボナが語る。「避難民の皆さんは、狭い場所で生活している上に、衛生状態の悪さや食糧不足が重なり、極めて不安定な状況で暮らしています。何らかの病気にかかることが懸念されます」

1つのベッドを4人の子どもが使う

ヌンビにMSFの支援する病院がある。ここ数週間、地域一帯ではしかが流行したため、患者が急増している。最近ベッド数を増やしたが、それでも、ほとんどの病室で、ベッド1台につき子ども3〜4人が利用する状況だ。多くの子どもが、はしかだけでなく他の感染症も併発しており、栄養失調の症例も増大している。

数キロ離れたルンビシ村の診療所から紹介を受け、このヌンビの病院にやってきたマニリオさん(20歳)が語ってくれた。

末の子どもがはしかにかかってしまって。それで、3日前にこのヌンビの病院に入院させたんです。でも、病院にたどり着くまで丸一日かかりました。大雨で路面の状態が最悪でしょう。息子を運んでくれるオートバイ運転手も見つからなくて……

わが子を抱き抱えるジョセフィーヌさん © Igor Barbero/MSF

マニリオさんも、もともとは北キブ州の住民だ。両親が殺された直後の3月に南キブ州へと避難してきた。現在は、夫と4人の子どもたちと一緒に、小さな部屋に泊まっている。

その近くに座っているのは、7人の子どもを持つ夫を亡くした女性、ジョセフィーヌさん(32歳)だ。やはり北キブ州から避難してきた。末っ子のバレンティンちゃんは、マラリアとはしかの両方にかかっている。6日間の入院後、病状は改善し、食事もとれるようになった。ジョセフィーヌさんによれば、最初は単純マラリアだと思って、自分で薬を飲ませていたが、それでも快方に向かわず、この病院を訪れたのだという。

ジョセフィーヌさんと子どもたちは、北キブの戦闘から逃れて、徒歩で約1カ月かけてヌンビにたどり着いた。ジョセフィーヌさんが涙をぬぐいながら語ってくれた。

子どもたちは、足が腫れてひどい目に遭いました。ここまでたどり着く途中で武装集団にすべて奪われ、いまは着の身着のままです。ここでは、MSFから食料や石けんをもらっていますが、退院した後は、どこからの援助もあてにできません

絶え間ない紛争、絶え間ない避難

北キブ州を中心とするコンゴ東部では、数十の武装集団が入り乱れ、コンゴ政府軍も関与する形で、複雑な争いが続いている。それに伴って、避難民も絶えることはない。

ビランダラさんとリジキさん夫婦(共に50代)は、この25年間で5回も故郷から避難し、そのたびに新しい場所で一から生活を再建してきたのだという。 夫のビランダラさんが語る。

どこで生きようと、大切なのは健康と食事と寝る場所ですよね。なのに、食べ物も水もない状態が何日も続いて……。頑張ってこられたのは、家族同士で支え合う愛情があったからです。私から世界にメッセージを送れるとしたら、それは『平和をください』になるでしょう

リジキさんとビランダラさん © Charly Kasereka/MSF

避難民のニーズに応えよ

MSFは、2022年12月から、南キブ州のミノバで活動を開始している。コレラの流行に対応する形で、現地の医療体制を支援してきた。北キブの人びとがこの地に逃れてきたのに応じて、MSFは、2023年3月下旬から避難民への緊急対応にも取りかかった。

3月下旬から5月下旬にかけて、MSFの医療チームは、ミノバとヌンビの病院において、2019人の患者治療に当たっている。特に多いのは、はしか、栄養失調、コレラにかかった子どもたちだ。そこで、MSFの水・衛生チームは、避難民の居住地域にて、飲料水、トイレ、シャワーなどに関する対策をとっている。

この1年を通して、MSFは、北キブ紛争のなか、避難民たちの医療・人道上のニーズに応えるべく奮闘してきた。現在もその努力の最中にある。

患者たちで満杯の病棟内を歩くMSFスタッフ © Charly Kasereka/MSF

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