ホラー映画ほど個性が必要とされるジャンルはない。数多存在するホラー映画の中、埋もれることなく人々の目に付くような光を発するには、かなりの努力が必要だ。
その点、『忌怪島/きかいじま』は巧くやっている。本作は、従来からあったアジア映画特有の湿った恐怖観――“『村』シリーズ”にあったような――と、テクノロジーに対する恐怖観が見事に融合しているのだ。
“イマジョ”がやってくる
未だシャーマニズム信仰が残る島。そこでは「シンセカイ」と名乗るチームがVR研究に勤しんでいた。しかし、その研究は謎の“赤いバグ”によるシステムエラーで中断してしまう。
研究チームが謎の失踪を遂げる中、島のシャーマンは告げる。
「“イマジョ”がやってくる」
“イマジョ”の影響でメタバースと現実世界が曖昧となり、島は地獄の様相となる。阿鼻叫喚の中、島の恐ろしい歴史や不可解な死を解き明かしていく。
日本ムラ社会の“爛れ”にフォーカス
システムに潜むバグが怨霊……悪い冗談なのか? いや、これは意外と的を射ている。システム屋にとってバグは恐怖であり、(修正するまでは)正体不明であり、怨霊のそれと同じだからだ。
それはさておき『忌怪島』では、“イマジョ”と呼ばれる禁忌がメタバースを介して、現実世界を侵食。人間たちを脅かしていく。
どことなく鈴木光司の「リング」から続く貞子シリーズ完結編「ループ」(未映像化)を彷彿とさせるプロットだ。だが虚構が一方的に現実を侵食した「ループ」と違い、『忌怪島』はメタバースと現実世界を曖昧にし、キャラクター自身も気がつかない間に両者の間を行き来させる。
“イマジョ”がいたメタバースは“あの世”という扱いなのである。「シンセカイ」のメンバーが島をトレースした結果、眠っていた島の禁忌までもバグという形で具現化してしまうとは、なかなか斬新な設定である。
この新しさに併せて、“イマジョ”誕生の理由として、日本ムラ社会の爛れにフォーカスしている。非常に昭和的な発想なのだが、これがまた『忌怪島』を面白くしているポイントでもある。
現実世界とメタバース、日本のムラ社会……新旧合わせて紡がれるホラーストーリーは非常に新しい。また、役者陣もベテランから若手まで魅力にあふれる芝居を見せる。
さて、相当に気合いの入った本作。清水崇監督は、どんな考えで『忌怪島』を作り出したのだろう? お話を伺ってみた。
「Jホラーの“湿り気”をもっとポップにしてみたら」
―今回の『忌怪島』は、『牛首村』の制作時点でアイディアがあったとのことですが?
ありました。制作メンバーからも「次は島ですかね?」なんてよく言われていましたね。
―やはり、これまでの『村』シリーズ同様、閉鎖的な空間として島をイメージしていた?
いえ、「一度足を踏み入れたら、帰ってこられない。どう脱出する?」といったベタなものは、もういいだろうと。プロデューサーからも「村には無かったポップな要素が欲しい」と提案もありまして。
―清水監督といえばJホラーの湿り気が持ち味ですが、作風を変えるとなると思い切った舵取りが必要だったのでは?
その“湿り気”をもっとポップにしたらどうだろう? と考えて、脳科学を取り上げてみたんですよ。脳の認識している世界と実際の人との距離感――それをメタバースと、これまで僕が描いてきたような土着の風習を結びつけたら面白いんじゃないかなと。
「『攻殻機動隊』の“ダイブ”をやってみたかった」
―なるほど、その点から観ていくと、メタバースと現実世界の合間の表現が非常にポップでした。
まず観客を翻弄したかったんです。「これ、どっち?」みたいな(笑)。単純にVRゴーグルを装着したら「はい、仮想空間です」というのは安易すぎると思いましたし。
―島の上空を飛ぶドローンの視点から、一気に主観視点へと移行する演出は見事ですね。
例を挙げると『GHOST IN THE SHELL 攻殻機動隊』(1995年)のダイブでしょうか。ああいう感じをやってみたかったんですよね。ドローンの映像からの繋ぎ、主観から客観へ……キャストのフレームインの仕方やカメラワークなど、難しかった。
―そんな仮想空間から恐ろしい“イマジョ”がやってくるわけですが、電脳空間から忌むべき存在がやってくるというのは、鈴木光司氏の「リング」3部作の最終章「ループ」を彷彿とさせますが……。
あ……全然意識してなかったです(笑)。いま言われて気がつきました。
「日本中どこにでも、表沙汰にできない出来事があって……」
―海と陸、そして現実世界とメタバースの境目に存在する“イマジョ”ですが、『忌怪島』のインターナショナル・タイトル『Immersion』(※没入の意)とピッタリきます。この英題は意図的なのでしょうか?
いえ、全然(笑)。海外マーケティングどうしようか? と話し合っているうちに、たまたま出てきた単語ですね。驚くほどしっくりきたので自分でも驚きました。その点、逆に英題を知って観ていただいたほうが、作品を楽しめるのかもしれませんね。
―“イマジョ”が生まれた原因ですが、これまでの清水監督作品の中では異例と言っていいほど気分が悪くなります。『湯殿山麓呪い村』(1984年)を思いだしました。
日本中どこにでも、表沙汰にできない出来事があって……それを起点に尾ひれがついて都市伝説化していくのは、よくあることです。
―田舎や島だと、なおさらではないでしょうか?
そうですね。コロナ禍でも実家に帰省が必要になったとき、かなり気を遣った知人がいるんですよ。帰省早々、「あのお宅には東京から人が来ている」みたいな話が一気に広がったらしくて。それで実家に被害が及んだらどうしよう? となったみたいで。翌朝、こっそり東京に戻ったとか。
―世知辛い話ですね……。
日本の島国根性というか、排他的な良くない部分はいまだにあるんだなって。だから、“イマジョ”がああいった“排他的社会の犠牲者”であるのは、全然あり得るんじゃないかと。あ、もちろん今回ロケ地になった奄美大島がそういう場所なわけではないですよ!(笑)。あくまで架空の島の設定なので。
「『犬鳴村』はコロナ禍の影響で“追いヒット”になった」
―『犬鳴村』『樹海村』『牛首村』とレーティングは「G」指定でしたが、今回は「PG-12」になっています。これはやはり“イマジョ”の表現が影響しているのですか?
PG-12ですから、若い方も大丈夫です! とはいえ『犬鳴村』のときは、PG-12指定くらいのほうが箔がつくんじゃない? と言われていたんですよ。でも僕は「都市伝説に興味を持つのは小中学生たちだから。それで小学生の弟も登場させたのに!」とG指定で推したんです。
―ホラー映画はレーティングが箔というのは解りますが、確かにおっしゃるとおりターゲット層が大事ですね。
そうなんです。『犬鳴村』は公開後、動員が落ち着いてきた頃にコロナ禍になって。休校で行き場をなくした小中学生が大勢観に来てくれて、追いヒットになったんですよ(笑)。コロナは大変だったけれど、若いお客さんに観てもらえて嬉しかったですね。
「ホラー映画はアナログ感を大事にすべきだと思う」
―『忌怪島』には陰惨な場面もありますが、これまでの作品と打って変わって明るい場面も多いですね。
あえてホラーに向いていなさそうな、開放的な南の島を強調して明るくしたかったんです。海辺で若い子がキャッキャしているシーンもあっていいんじゃないかと。
―“イマジョ”も陽光照る中に登場しますね。
いやあ、最初は「こんなに明るくして大丈夫?」と言われたんですよ。でも、監督として最初に携わった『学校の怪談G』(1998年)にも、『呪怨』(2000年)に登場する俊雄の原型となったキャラが真昼間に登場します。だから、これからも明るくて怖いシーンにはチャレンジしていきたいと考えています。
―私だけかもしれないのですが、ホラー映画のキャラクターははっきり観てみたいんですよ!
(笑)。はっきり見えすぎると、怖さがスポイルされてしまうかもしれないので、気は遣いますよ。でも、いざやるとなると「知るか!」みたいな気持ちで開き直りますね。
―今回は、床が突然海面になったりする、不思議なギミックもあります。
『忌怪島』では、ギミックをたくさん使っています。どれも苦労しました。床が海面になる場面は、プールで撮影したものをVFXで繋げて作ったのですが、スタッフもキャストも「これ、どうするんですか?」と。それはそうですよね、脚本にはト書きで“床に引きずり込まれ、波が立つ”としか書いてないんですから(笑)。
―清水監督の作品にしてはなかなか派手な演出だなと思いました。
確かに派手と言われたらそうですね。でも、ハリウッドやインド映画みたいに派手すぎるCG演出ってあまり好きではなくて。床抜け場面も、かなりアナログな手法を使っているんです。カット割りで工夫したり、水もポンプでバシャーッ! と役者さんにかけたり。みんなビショ濡れになったけど、やっぱりアナログの方が“肌感”が伝わりますよね。ホラー映画は、そういうアナログ感を大事にすべきだと思います。
―とても解ります! CGを使うと物質の“重み”が無くなってしまうんですよね。
そうなんですよ!「なんか違う」と感じてしまうんですよね……。
「“イマジョ”は関節が外れていて、右腕だけが長い」
―清水監督ならではの、お風呂場でのジャンプスケアも健在です。
あの場面には、ちょっと裏話がありまして。“イマジョ”役の祷キララさんにお風呂に潜ってもらって、実際に手を「ヌッ」とだしてもらっているんですよ。
―え? でも、あのお風呂、狭くないですか?
そうなんですよ。僕は「絶対無理だよ!」と言ったんですが、助監督が「いや、いけます!」と。
―それは「ホラー担当」としてクレジットされている川松尚良さんですか?
そうです(笑)。彼が素晴らしいのは、脚本の恐怖描写を誰よりも理解/分析しているところですね。どうやったら脚本通りの画が再現できるか? が、もう(頭の中に)できているんですよ。彼は清水組にはなくてはならない存在です。くやしいなぁ(笑)。“イマジョ”のデザインも彼が勝手にスケッチして、デザイナーに発注しちゃったんですよね。
―熱心ですね!
本当にこだわりが凄いんですよ。公式HPでイメージ映像が観られますが、“イマジョ”って片腕を吊られているんですよね。そこで彼は「“イマジョ”は関節が外れていて、右腕だけが長い」という設定を追加しました。劇中でもそんな場面があるので、注意して観てくれると彼も喜びます。
「“イマジョ”という言葉自体、禁忌とされる考えが未だに強い」
―つい“イマジョ”の話ばかりしてしまいましたが、一連の出来事の鍵を握る老人シゲル(笹野高史)と少女リン(當真あみ)の演技が目を引きました。スピンオフが作れるくらいのレベルではないでしょうか?
スピンオフ……うん、シゲルさんは相当に闇が深い人間なのでアリですね。でも、最初の脚本では二人とも居なかったんですよ。
―え、そうなんですか?
「シンセカイ」の若い面子だけでは、物語に深みがないなあと。せっかく島のお話なのに、地元のキャラクターが居ないのも寂しいですし。そこで登場させたのがシゲルとリンなんです。
―でも、ちょっとキャラクターが濃すぎやしませんか?
いえいえ、それがいいんです。村八分で生きてきた老人、そして彼を気にかける無垢な少女。そこから鍵となる“島唄”や◯◯◯◯(※観てのお楽しみ)が登場することになったんです。
―島唄は印象深かったですね。
シゲル役の笹野さんとリン役のあみちゃんに、弾き語りを練習してもらいました。笹野さんはもともと三味線をやられいてたとのことで、すぐ覚えていただけましたね。あみちゃんもバイオリンか何かの経験があったので、すぐにマスターしてくれました。問題だったのは歌詞ですね
―それは方言で歌いにくいとか?
それもあるのですが、最初は奄美の三線指導の方に作曲を依頼したんです。快諾して頂けたのですが、映画の骨子を伝えたところ、家族に猛反対されたとのことで……。“イマジョ”という言葉自体、禁忌とされる考えが未だに強いんでしょうね。
―うーん、現実に禁忌とされる作品というわけですね。さて、そんな『忌怪島』の見所を……。
やはり西畑大吾くんが主演ということで、ポップな怖さがあるホラーと思っている方が多いと思います。でも後半になるにつれ、どろっとしたヒューマンドラマへと変貌していく様を楽しんでほしいなあ。それから、結末も考察しがいのあるものになっています。観た後は、みんなで盛り上がってほしいですね!
取材・文:氏家譲寿(ナマニク)
『忌怪島/きかいじま 』は2023年6月16日(金)より公開