朝鮮通信使復元船が対馬へ 8月の厳原港まつりで初来航 日韓4機関が協約

「対馬厳原港まつり」に合わせ対馬に来航する朝鮮通信使船の復元船(対馬市文化交流課提供)

 江戸時代の朝鮮通信使が日本への渡航に使った船の復元船が、8月に長崎県対馬市の厳原港一帯で開かれる対馬厳原港まつりに合わせ韓国から日本に初来航し、日韓友好を国境の島から発信する。対馬側と韓国側の計4機関による協約調印式が17日、同市内であった。
 通信使は朝鮮王朝が1607年から1811年にかけて12回、江戸幕府に派遣した外交使節。日本では対馬を皮切りに下関や大阪などを通り、各地で文化交流が生まれた。2017年には日韓の通信使関連資料333点が「ユネスコ世界の記憶」(世界記憶遺産)に登録された。
 復元船は、韓国の国立海洋文化財研究所が18年に築造。長さ34メートル、重さ149トンの木造で、エンジンで動く。対馬来航は19年と20年にも計画していたが、日韓関係悪化や新型コロナウイルス流行で中止した。
 対馬市によると、復元船は8月1日に韓国・釜山港を出発し、対馬北部の比田勝に入港。翌2日に南部の厳原港に入り、同まつり期間中の5、6日に市民向け体験乗船やライトアップなどを計画している。

協約に調印した比田勝市長(右から2人目)や金所長(同3人目)ら各機関の代表者=対馬市役所

 市役所での調印式に、対馬側は市と同まつり振興会、韓国側は同研究所と釜山文化財団の代表者が出席。相互交流の規定などを盛り込んだ協約書を交わした。
 比田勝尚喜市長は「両国の交流がますます盛んになり、『通信使といえば対馬』というアピールになることを期待している」、同研究所の金聖培(キムソンベ)所長は「通信使一行が培った日韓の信頼と友情は今も有効だ。来航が平和な未来を約束するきっかけとなることを願う」と話した。

© 株式会社長崎新聞社