「原爆のせいと認めてほしかった」 原爆症訴訟の元原告・松谷さん 当時の心境や感謝語る 長崎市内で学習会

「松谷訴訟」について振り返り、被爆者の仲間や全国の支援者への感謝を語った松谷さん(右)と横山さん=長崎市岡町、長崎原爆被災者協議会

 被爆者運動の歴史を学ぶ学習会が長崎県長崎市内で17日あり、原爆症認定を国に求め最高裁で勝訴した「松谷訴訟」の元原告、松谷英子さん(81)が講演した。長崎原爆で右半身まひの障害を負い、12年に及ぶ裁判を闘い抜いた心境を「原爆のせいでこんな体になったと認めてほしかったから続けられた」と証言。仲間の被爆者や、全国の支援者への感謝を何度も口にした。
 被爆者は原爆放射線が原因のけがや病気について治療が必要な場合などに「原爆症」と認定される。国が医療費全額を負担し、医療特別手当も支給する。
 3歳の時、爆心地から2.45キロの自宅縁側で被爆。飛んできた瓦で頭蓋骨陥没の重傷を負い、障害が残った。高校卒業後の1961年から長崎原爆被災者協議会(長崎被災協)の事務員として働く中、77年と87年に原爆症認定を申請したが却下。88年提訴した。
 印象深い出来事として、被爆者の故渡辺千恵子さんが死去前年に病床で原告側証人を務めてくれたことを挙げ「私のために、女性として恥ずかしい部分(下半身の傷)も(裁判官らに)見せてくれたことが忘れられない。今も感謝している」と語った。2000年に最高裁で勝訴。全国で集団訴訟が続き、認定要件見直しへの道を開いた。
 学習会は被災協が主催。市民ら約40人を前に講師の横山照子副会長(81)は「再び被爆者をつくらないよう頑張ってきた。私たちは一日も長く生きるので、皆さんは被爆体験を聞き取り、核兵器廃絶の志を受け継いで」と願った。

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