<書評>『櫛笥―母―』 母への愛憎と鎮魂

 本書は沖縄の歌人・玉城洋子(『紅短歌会』代表)の第7冊目の歌集。玉城は敗戦前後に生を受け、その多くが米軍の艦砲射撃で生を断たれ、「艦砲ヌ喰エーヌクサー」と自嘲を込めて称される世代。「母を遺さなければ」という思いに促迫されて詠んだ母への愛憎と鎮魂の歌集である。

 《長梅雨に忘れられてゐる櫛笥母を恋ふしく思ひて一日》。櫛笥(くしげ)とは化粧箱のこと。平和時にこそ愛用されるが戦時には無用。だから、櫛笥とは平和希求の象徴にほかならない。《春夏の営み美しき故里を戦争がすべて吹き消した 母を》。母の一生に思いをはせると、次々と母の記憶が湧いてくる。《今も残る母の手作り「加那ーヨー」踊り衣装の袖の糸飾り》《夏来れば若きら集め遊び庭(アシビナー)に夜ごと響かせた母の「組踊り(クミウドゥイ)」》。元気な母の姿を詠んでいるが、しかしそれは、必ずしも作者の共感できる母の姿ではない。村の青年らを遊び庭に集め夜ごと三味線を響かせ、踊りに興じる母を、作者は痛々しく、しかし、冷徹に批判的に見ている。「あとがき」に「母との諍い多い日々。…憎んでも憎み切れない戦争」と書く。

 《母二十歳父は二十二歳とふ知らず生まれき沖縄地上戦》。《死してゆく男に嫁ぎゆきし母心如何にかと問ひしは二十歳(はたち)》。20代で父母は結婚した。が、たった60日で父は1歳の娘と妻を残して戦地へ。娘には《死してゆく男に嫁ぐ》母の悲しみを計り知る事など出来ない。若い母の行動が疎ましい。「母との溝は、辛い日々に噴き出しては戦争と言う物を、強かに恨んだ。/母も私と同じ「戦争」への恨み辛みの人生であったのだと思うと、身の引き裂かれる思いがする」とあとがきに書く。《切り裂きて見せる母の傲慢は未だも生きてた買ひきし下着》。

 爆撃による被災だけが戦争被害ではない。母と娘のそして父との平和な日々を引き裂いたのは紛れもなく戦争。この歌集は、玉城洋子という歌人でなければ詠めない、傷口から血の吹き出す「新たな意匠の戦争被災記」であり、反戦歌である。

(平敷武蕉・文芸評論家)
 たまき・ようこ 1944年うるま市(旧石川市)生まれ。82年に第1歌集「紅い潮」発表。同年から合同歌集「くれない」を発行。「櫛笥―母―」は第7歌集。

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