投稿40年、人生彩る 茨城新聞県民の声友の会会長 石岡の故加藤佐志能さん

「投稿は生きがい」と話していた加藤佐志能さん=2020年10月、石岡市内

■読書好き、話題幅広く

40年にわたり茨城新聞に投稿し続けた茨城新聞県民の声友の会会長の加藤佐志能(さしの)さん=茨城県石岡市=が先月21日、85歳で亡くなった。身近な出来事から政治、経済、社会問題までテーマはさまざま。農作業や子育ての傍ら、趣味で始めた投稿は人や社会との接点となり、人生を豊かに彩った。

1937年、茨城県の旧岩瀬町(現桜川市)生まれ。同県石岡市の兼業農家に嫁ぎ、公務員だった嵩さんを支え、3男1女に恵まれた。子育てをしながら農作業や洋裁、PTAや地域活動と休む間もなく働いた。

投稿を始めたのは46歳の時。「雨をテーマにした短文が思いがけず新聞に採用され、病みつきになった」と生前、取材に話した。子どもの頃から大の読書好き。本から長年吸収してきたものを吐き出すように、新聞やラジオに手書きの原稿を送った。

三男の聡さん(52)が思い出すのは、離れの2階でラジオを聞きながら、文章を書く母の姿だ。メモを片手に日々の出来事を記し、「読点の位置にもこだわって、全く添削されずに掲載された時は特に機嫌が良かった」と笑う。

テーマに応じて簡潔に書き分け、茨城新聞には月1~2本のペースで投稿した。子どもたちを話題にした内容も多く、「当時は恥ずかしかったが、母は私たちと一緒に喜びたかったのだと思う」。長女の琢美さん(50)はそう振り返る。

2017年からは茨城新聞への投稿経験者でつくる同友の会の会長を務めた。前会長で、30年来の付き合いだという水戸市の冨田貢さん(90)は「明るく誰とでも平等に接し、投稿仲間の中でも顔が広かった」と人柄に触れた。

数年前に体調を崩し、21年10月20日付シニア面「ティータイム」の掲載が最後だった。「4人の子の助けに感謝」の見出しで、入退院を繰り返す自身に、優しく接する子どもたちへの思いをつづった。

「おしゃべりが好きで好奇心旺盛。投稿は母が社会とつながる生きがいだった」。加藤さんが亡くなって1カ月。聡さん、琢美さんらは残された原稿に目を通しながら、少しずつスクラップブックに整理していくという。

掲載紙や原稿を広げ、思い出を語る三男の加藤聡さん、長女の琢美さん(右から)たち=石岡市下林

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