坂本龍一・著『ぼくはあと何回、満月を見るだろう』(本日より首都圏の書店で販売開始)に、生前の日記を交えて綴られた特別原稿を収録

坂本龍一の最晩年までの活動をまとめた自伝『ぼくはあと何回、満月を見るだろう』が、いよいよ本日より首都圏の書店で販売開始となる[全国発売は6月21日(水)]。 著者本人の手による「あとがき」は、残念ながら坂本が3月28日に他界したことでかなわなくなり、本書の口述筆記の聞き手を務めた鈴木正文が巻末に「著者に代わってのあとがき」を寄せている。 その原稿の準備中、鈴木は坂本の遺族から数枚のプリントアウトを手渡された。それは、生前の坂本がPCやiPhoneでつけていたという日記の一部だった。 年明けに20時間にわたる大手術を受けたあとの「2021年5月12日」

《かつては、人が生まれると周りの人は笑い、人が死ぬと周りの人は泣いたものだ。未来にはますます命と存在が軽んじられるだろう。命はますます操作の対象となろう。そんな世界を見ずに死ぬのは幸せなことだ》

YMO時代からの盟友・高橋幸宏が亡くなり1カ月ほどが経った「2023年2月18日」

《NHKの幸宏の録画見る/ちぇ、Rydeenが悲しい曲に聴こえちゃうじゃないかよ!》

鈴木による原稿では、こうした貴重な資料も交えつつ、口述筆記のプロジェクトが終わり、今年を迎えてからの坂本の最期の日々のことが初めて明かされる。 文字通り死の直前まで他者のため、そして自分のためにも仕事を続けた教授の姿を、この「あとがき」から知ることができるだろう。

鈴木正文コメント

Photo by Kazumi Kurigami

坂本龍一さんが最後の日々に書きつけたことばや思想の断片をとどめる「日記」のうち、2022年9月23日のものには、「ぼくは古書がないと生きていけない/そしてガードレールが好きだ」との記述があります。「あとがき」では、そのまま紹介し、コメント類は付加しませんでしたが、「古書がないと生きていけない」という吐露につづいて、「ガードレールが好きだ」という告白があったのには、虚をつかれました。それからというもの、僕はガードレールを見るたび、坂本さんのこのことばを呼び戻しては、路傍にうずくまるものいわぬかれらに、坂本さんに代わって(というつもりで)、語りかけます。照る日曇る日、黙して僕たちを護ってくれてありがとう、ガードレールさん、と。

【著者紹介】

Photo by Neo Sora ©︎Kab Inc.

坂本龍一(さかもと・りゅういち)

1952年1月17日、東京生まれ。東京藝術大学大学院修士課程修了。1978年『千のナイフ』でソロデビュー。同年、YMOの結成に参加。1983年に散開後は『音楽図鑑』『BEAUTY』『async』『12』などを発表、革新的なサウンドを追求し続けた姿勢は世界的評価を得た。映画音楽では『戦場のメリークリスマス』で英国アカデミー賞音楽賞、『ラストエンペラー』でアカデミー賞作曲賞、ゴールデングローブ賞最優秀作曲賞、グラミー賞映画・テレビ音楽賞をはじめ多数受賞。『LIFE』『TIME』といった舞台作品や、韓国や中国での大規模インスタレーション展示など、アート界への越境も積極的に行なった。環境や平和問題への言及も多く、森林保全団体「more trees」を創設。また「東北ユースオーケストラ」を設立して被災地の子どもたちの音楽活動を支援した。2023年3月28日逝去。

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