「人生最大の失敗かも」と笑うジェンソン・バトン。本気で“ル・マン最速GT”を狙ったNASCARカマロの大冒険

 暗闇に包まれたサルト・サーキットに轟くV8サウンド。ヘッドライトを煌々と輝かせLMP2に食らいつくそのGTマシンはアストンマーティンか? シボレー・コルベットか? いや違う。シボレー・カマロZL1、NASCARだ!

■動いていなくても速かった?

「初めてこのクルマをデイトナでテストした時、5周して人生最大の失敗をしたかもしれないと思ったんだ」と、ニコニコ嬉しそうに語るのは元F1世界王者のジェンソン・バトン。

「とにかくクルマが重たく感じたし、ブレーキだって思いっきり踏んづけ続けないと止まらない。でも、クルマに慣れてきたら最高に楽しく感じられた。とにかくエンジンがパワフルでリヤが滑りまくる。それをコントロールしながら走るのが楽しいんだ。レースでタイヤを滑らせて走るなんて、最近ではあんまりないけれど、このクルマと、グッドイヤータイヤはそうやって走らせてもいいようにデザインされているからね。ほんと、運転していて最高だよ!」

NASCARガレージ56プロジェクトから2023年のル・マン24時間レースに出場したジェンソン・バトン

 ル・マン24時間の賞典外特別枠『ガレージ56』は、異質なモノを飲みこむことで知られているが、さすがにNASCAR(カップカー)はどうなのよ? と誰もが思ったに違いない。

 NASCARにだってロードコースのレースはあるけれど、ヘッドライトはシールだし、ハネは控えめだし、何よりも24時間連続で走れるんですか? っていう話です。

 でも、開拓者魂溢れるアメリカンたちはそんな困難なチャレンジに挑むのが大好き。NASCARのトップチーム、ヘンドリック・モータースポーツの面々は、この一見ふざけたようなプロジェクトに真剣に取り組んだ。

 新世代マシンのNext-Genに移行したとはいえ、最新のGT3やGTEに比べればローテク気味なNASCAR。でもね、NASCARトップチームの技術力って実は目茶苦茶高いんですよ。ローテクなものを最先端のレース技術で走らせるのがNASCAR流。だから、ル・マンを走りますなんてことになったら、彼らは最高に燃えるわけです。そして実際、いいクルマを作りあげた。アソビだと思ったら、これが抜群に速いGTカーに仕上っていたのです。

 LMGTEアマクラスのライバルたち? がまずビビッたのは予選での速さ。そりゃそうでしょう、最速だったAFコルセのフェラーリ488 GTEエボより約4秒も速かったんだから。あんなローテク(何度も失礼)マシンにぶっちぎられたら、たとえ『特別枠』だったとしてもGTEの皆さんは面白くないでしょうね。

 さらにさらに、NASCARカマロは動いていなくても速かった。というのは、全チーム参加の『ピットストップチャレンジ』でGTカー最速、総合でも5番手のタイムだったから。しかも車載のエアジャッキじゃなくて、左右交互に突っ込む手動ジャッキで4本のグッドイヤータイヤを10秒364で交換したのだから、これ実質的に総合優勝でしょう。ヘンドリックの屈強なピットクルーの皆さん、あなたたち最高です!

 忘れてました。ドライバーたちも最高ですよ。F1元世界王者のバトン様、NASCARチャンピオンのジミー・ジョンソン様、そしてル・マン・ウイナーのマイク・ロッケンフェラー様。豪華すぎでしょ。こればかりはLMGTEアマの皆さんにゴメンナサイですよね。クルマの開発は、元アウディ・ワークスのロッケンフェラーが主に担当したようですが、やっぱりル・マンをよく知っているから任せて安心ですよね。

タイヤ交換時はエアジャッキでなく、NASCAR式のいわゆる“人力ジャッキ”で左右別々に作業する

■アメフト選手がマラソンランナーに紛れ込む

 で、肝心のレースはどうだったかというと、さすがに予選ほどのタイム差はつかず、ベストラップはわずかにGTEコルベットの方が速かった。でも、GTカーの中で首位に立つくらいのスピードも安定性もあって、20時間以上もGTクラスのトップを争い続けたのだからスバラシイ。ヘンドリックの皆さんたちは賞典外ながら「GTカー最速の座を狙うぜ」と気合いが入りまくり。まあ、レギュレーションもBoPもあまり関係ないクルマなんで、直接GTEと比べるのはナンセンスですけどね。

 バトンは「カマロZL1はパワフルだからとにかくストレートスピードが速い。それがこのクルマ最大の武器だ」と言ってましたが、確かにレースウイークを通しての最高速を見ると、予選では314km/hも出ていて、これはGTカー最速。下位のLMP2よりも速かったりしました。

 決勝でもやはりGTカー最速で、ストレートではLMP2がなかなか抜けなかったり、抜いても引き離すのに時間がかかったりとか、けっこういい勝負をしてました。あんなに座高……じゃなくて全高が高くて重量も重く(公称1342kgです)、空力的にもプリミティブなのに、一体どうなってるの? って、見ていて頭がバグりました。何ていうか、アメフトの選手がマラソンランナーの中に紛れ込んでいるような、強烈な違和感を覚えたのです。

「意外かもしれないけど、ポルシェコーナーなんかも結構速かったんだ。もちろんダウンフォースは全然ないからLMP2にはまったくかなわないし、ロールもかなりでかいけど、バランスはいいんだ」とバトン。

 バトンといえば元スーパーGT王者。GT500と比べたらどうなのよ?「ハハハ。僕たちのNASCARと比べたらNSX-GTはハイパーカーみたいなものさ。比べる対象ではないよ。でも、楽しさはまったく負けていないし、サウンドは間違いなくNASCARが最高だ!」そう、同じV8でもサウンドはアストンやコルベットとはまったく違って、高回転時にはまるで楽器みたいなイイ音がしていました。

シボレー・カマロZL1が履くのは専用開発されたグッドイヤータイヤ

■ガレージ56が描いた“爽やか青春ストーリー”

 チームが唯一恐れていたのは雨。NASCARのロードコースだって雨のレースはあるけれど、今年のル・マンみたいにバケツの水をひっくり返したような豪雨はまずない。しかし、グッドイヤーがル・マン専用に開発したレインタイヤとインターミディエイトタイヤはうまく機能し、ドライバーたちも難局を切り抜けた。「夜間に雨の中を走るのはおっかなかったけれど、何とかうまく切り抜けることができたよ」とジョンソン。NASCARレジェンド、なかなか得難い経験をなされましたね。

 NASCARカマロは心配されていた耐久性も想像以上に高く、エンジンも快調にブン回り続けた。NASCARカップシリーズの最長レースは約960kmで、そこから先は未知なる領域だったけれど、OHVのシボレーR07ユニットは余裕たっぷりにNASCARサウンドを響かせ続けたのです。

 ただし、駆動系のほうは頑張りきれず、日曜日の昼過ぎにバトンがドライブしている最中にトラブル発生。トランスアクスルに問題が起きたようで、そこから1時間程度ガレージの中で過ごすことになってしまいました。その結果、総合順位は一気に下がり、ジョンソンが総合39位でチェッカーフラッグを受けた。GTカー最速で走りきるという夢は果たせなかったけれど、ドライバーたちもヘンドリックのスタッフも心からル・マン・チャレンジを楽しんだようです。

「素晴らしい経験だった」とバトン。「このクルマがル・マンを走るのは今回が最初で最後なんだ。そう考えると寂しい気持ちになるけれど、次に向かって行こう」って、何だか高校最後の学園祭を終えた若者みたいな甘酸っぱいコメントですね。

 でも、何だかわからないけど面白いことにみんなで真剣に取り組んで、多くの困難を乗り越え、一時はGTトップを争い、しっかり最後まで走り続けることができたわけだから、ミッションコンプリートですよね。総合優勝争いは不可解なBoPの関係でちょっとばかりアレな感じでしたが、ガレージ56は実に爽やかな青春ストーリーが描かれたのでした!

スタート前セレモニーに臨むヘンドリック・モータースポーツのクルーたち

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