『奄美の歌掛け集成』 島唄の特質記す論考集

 〈奄美の歌は、シマ唄と呼ばれ、仲間うちでは歌あそびとなり、年中行事の八月踊りでは集団の掛け合い歌となる。すなわち「歌掛け」である〉と、著者は島唄の特質を簡潔に記す。島唄の本領は「歌掛け」にこそある、との認識に立っての論考集だ。

 「歌掛け」が最もエキサイティングに表出される八月踊りは、稲作儀礼と切り離せない。龍郷町秋名は島一番の稲作地帯だ。国の指定重要無形民俗文化財「ショチョガマ祭り」と「平瀬マンカイ」は、古(いにしえ)、ネリヤ・カナヤの使者、鶴が両翼に稲穂を挿して、くちばしにも一本くわえて飛来し、島中に稲作を広めたという伝説に由来する。

 徳之島にはここだけに伝わる「田植え歌」があるし、収穫の喜びを全身で表す「稲すり節」は宇検村芦検(奄美大島)の独壇場だ。そしてフィナーレの八月踊りは、奄美各地でにぎやかに繰り広げられる。1609年の薩摩侵攻以後、稲作が強制的にキビ作へ転換させられてからも、祭りはどこかに命脈を保ち、廃藩後、次第に息を吹き返す。

 おぼこりどやゆる 果報しゃげどやゆる 来年(やね)の稲がなし 畔まくら

 (豊作を賜り感謝します。果報なことです。来年の稲神様、稲穂が畔まくらをするほど実りの年にして下さい)

 感謝と祈りの切実さは、逆に言えば、我々の先祖がいかに天変地異を畏れ、結果としての飢饉におびえていたかを物語るものだろう。感謝と不安が表裏一体をなしている。故に感謝の歌と踊りが思いっきり“はじける”のだ。

 島唄の面白さは、その変わり身の早いこと。イトゥ(労働歌)も八月踊りも、気が付くと恋歌に変わっていることがしばしばある。恋の成就を稲作の豊穣に見立てるところが女性ならではの視点である。

 そんな島唄の発生や起源を古典文芸に探り、また先学文献に仰ぐ。一方で、自ら「奄美歌掛け文化保存会」を立ち上げて継承保存活動にも精力的だ。異色の研究家は、徳之島の歴史学者、坂井友直氏の次女である。(中村喬次・エッセイスト)

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 みかみ・あやこ 1937年、奄美市生まれ。大島高校、国学院大卒。同大学院日本文学研究科博士課程後期修了。現在は法政大沖縄文化研究所研究員、沖縄国際大南島文化研究所研究員。

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