「原爆ドーム」保存は当初から想定か 1949年 平和公園の設計コンペ 募集要項を公開 広島

平和公園がどうやって作られたのかを知る、重要な資料です。原爆投下から4年後に広島市が行った平和公園の設計コンペの募集要項が見つかり、一般公開されました。

公開されたのは1949年、広島市が平和公園などの設計案を公募したときの募集要項です。コンペでは、建築家・丹下健三 氏の案が一等になりました。

募集要項は2021年、このコンペに自身も応募した広島大学の 佐藤重夫 名誉教授の遺族が発見し、ことし4月、広島市公文書館に寄贈されました。

公文書館によりますと、募集要項の表紙には原爆ドームが描かれています。また、要項の中には「元産業奨励館の残骸があるが、これは適当修理の上、存置する予定」と記されています。

こうしたことなどから公文書館は、原爆投下から4年後の時点で、原爆ドームの保存を前提に、平和公園の設計が考えられていたことが読み取れるとしています。

1965年に広島市からドームの強度・保存調査を依頼された佐藤名誉教授は、特殊な接着剤で補強すれば保存は可能という報告書を提出。これを受けて、1966年にドームの保存が広島市議会で決議されました。

広島市公文書館 岡本昭子 主事
「まだGHQの配下にあった日本で、原爆投下によって破壊された原爆ドームを残すということを明記するということは、非常に大きなことだったと思われる」

募集要項の原本は、広島市公文書館で来月7日までと、8月1日から18日までの間、展示されています。

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