<評伝>兵庫の故郷を終生大切に 率直な物言い、進取の精神に富んだ経営者だった牛尾治朗さん死去

自社の製品を説明する牛尾治朗さん=2018年2月、東京都千代田区

 「播磨はものづくりの強い地域。技術者が外に流出せず、じっくり仕事をする人が多い。一方、神戸はインディペンダント(自立)。肩書よりも人間の立派な人を評価する風土。気に入ってましたね」。13日亡くなったウシオ電機創業者、牛尾治朗さんは故郷の姫路や神戸を終生大切にしていた。

 同社はハロゲンランプや放電ランプといった製品に始まり、ユニットや応用装置へ幅を広げてきた。売上高の8割が海外だが、光関連は兵庫県姫路市の播磨事業所が軸で研究所も置いている。

 姫路では3代の「牛尾」は有名だ。祖父梅吉氏は米相場で巨利を得て当時の姫路銀行、姫路水力電気の経営権を取得。父健治氏も山陽配電を築いた。いずれも姫路商工会議所会頭を務めた。自身は「祖父や父の影響は非常に強い。今も手本にしている」と話した。

 政財界で幅広い人脈を築けたのは何より人好きなゆえだろう。土光敏夫氏、瀬島龍三氏、中山素平氏…。率直な物言いで各界の大物に気に入られた。

 時代を先取りした発言は注目を集めた。1995年からの経済同友会代表幹事の際は日本経済の構造改革とともに経営者に自己変革を迫った。創立50周年の総会時の発言は今に通ずる内容だ。「日本は敗戦後に匹敵する重大な岐路にある。政府の判断と業界の協調の慣習を優先してきたが、今後は市場が下す厳しい審判を受け入れる覚悟が必要。われわれはすべてをつくり直さねばならない」

 進取の精神に富んだ経営者だった。(加藤正文)

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