2001年の明石歩道橋事故、遺族会が解散「雑踏警備のあり方を改めさせる役割果たせた」

事故現場に設置されている慰霊碑「想(おもい)の像」=明石市大蔵海岸通1

 2001年7月、花火大会の群衆雪崩で子どもら11人が亡くなった明石歩道橋事故の遺族でつくる「明石歩道橋犠牲者の会」が21日、書面で解散を発表した。真相究明を求めた集団訴訟が16年7月に結審した後は目立った活動をしておらず、事故から22年を経て「役割を果たした」とした。(松本寿美子)

 同会は解散を報道各社に伝えた上で「静かに解散したいとする遺族の意向」があり「一部の遺族への取材が遺族会の総意と見なされる懸念」から会見を開く予定はないという。

 同会は事故から約2カ月後に結成。発生時の雑踏警備を巡って8遺族が兵庫県明石市と警備会社、県警に民事訴訟を起こし、被告の3者に計約5億6800万円の賠償を命じた判決が確定した。主催者(市)側の自主警備を原則とした県警側の主張も退け、「雑踏警備のあり方を改めさせるという役割を果たした」とした。

 刑事裁判では市の担当者ら5人の有罪判決が確定。不起訴となった明石署元副署長は、遺族会の活動を通じ全国で初めて強制起訴された。時効による免訴で実質無罪が確定したとはいえ、同会は「司法改革にも一石を投じた」とした。

 昨年7月には、遺族と弁護団の軌跡をまとめた本を遺族有志が出版。今後はそれぞれに事故の教訓を伝えていくという。

 当時2歳の次男を亡くした会長の下村誠治さん(64)は「個人としては信楽鉄道、中華航空機などの事故遺族に支えられ、感謝しかない。北海道・知床の観光船沈没事故や韓国・ソウルの雑踏事故の遺族らを支援することで恩返しし、同様の事故遺族の支援が進むよう尽くしたい」と話した。

 また、同会は解散に伴い、事故翌年に現場の歩道橋に設置したモニュメント「想(おもい)の像」を明石市に寄贈した。市総合安全対策室の上田晃司課長は「事故の教訓を伝え、安全文化の継承を誓う象徴。市が責任をもって管理していく」と話した。

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