沖縄戦、司令部壕を「語り部」に 南部撤退の象徴、公開へ

旧日本軍第32軍司令部壕の第5坑道=2020年6月、那覇市

 2019年の火災で正殿などが焼失した首里城(那覇市)の地下に築かれ、1945年の沖縄戦で軍事的中枢だった旧日本陸軍の第32軍司令部壕の公開に向け、沖縄県が取り組みを本格化させている。司令部の「南部撤退」で、より多くの住民が地上戦に巻き込まれた。物言わぬ語り部にしたい考えで、文化財指定も検討、25年度以降の順次公開を目指す。

 県によると、第32軍司令部壕は旧日本軍が撤退時に爆破したため、全容が分かっていない。これまでの調査で直線距離は400メートル弱と判明。中心部のトンネルから坑道が枝分かれするようにのびる構造で、総延長約1キロと推定されている。

 県は93年度に壕の調査を始めたが、12年度公表の専門家提言で岩盤に崩落の危険などがあり、一般公開するには安全面で問題があるとの指摘を受けた。

 安全な公開方法を巡り、検討は長期化したが、首里城火災を契機に住民や沖縄戦体験者らから司令部壕の公開を求める声が多く寄せられた。県は20年11月、専門家らで作る検討委員会を設け、公開方法を話し合った。

模型を使って第32軍司令部壕の説明をする垣花豊順さん=9日、沖縄県豊見城市

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