今もストリート最前線!ラフィンノーズは現在進行形のインディーズバンド  今こそ注目! 80年代インディーズ「ラフィンノーズ」

最先端の音 “パンクロック” を奏でたラフィンノーズ

まず、最初に言っておきたいのは、ラフィンノーズは、今もストリートの最前線に君臨する現在進行形のバンドだということ。1981年結成、1985年から1991年までの約5年間のメジャー在籍期間を経て、この年の8月に一度解散、1995年からチャーミー(ヴォーカル)、ポン(ベース)の強いパートナーシップのもと現在はドラムToru-wolf(exギターウルフ)、サポートギタリストに清野セイジ(Captain Hook/HARISS)を迎え入れ全国の熱狂的なファンを沸かせている。

結成当初は、英国ハードコアバンド、ディスチャージの影響下にあるノイジーで重たく早い音を身上としていたが、84年からはポップでキャッチー、疾走感溢れる現在のスタイルに移行。ラフィンノーズは日本でいち早く “パンクは死んだ” という概念を察し、音に活かしてきたバンドだと思う。

それは、どういうことかというと、一度葬られた音を蘇らせたという感覚だ。ポップ化したライフィンノーズの音のフォーマットにはセックスピストルズの影響が大きくあったと思うが、彼らのような1977年当時のサウンドをそのまま演奏するものではなかった。よりポップに、よりキャッチーにブロウアップさせてストリートに響かせた。ストレイキャッツが奏でるロカビリーがオールディーズではなかったようにラフィンノーズが奏でるパンクロックは84年当時の最先端の音だった。

このようなスタンスからサビの部分を全面に打ち出し、ラモーンズの電撃バップ(Blitzkrieg Bop)と並ぶパンクロックの大発明ともいえる「GET THE GLORY」をはじめ、「PARADISE」、「I CAN'T TRUST A WOMAN」などの名曲を生み出す。

ばらまきソノシート事件―― DIY精神に基づいたアイディアと実行力

音が斬新だったように彼らが展開するミュージックビジネスもまた、これまでにない新たな試みが多くあった。革新的な音楽性もさることながら、ラフィンノーズの凄さは自分たちの音をどのように世間に広めているかという行動戦略にあった。コアなパンクファンだけでなく、アンダーグラウンドで今何が起こっているのか?という部分に敏感な感度の良いアンテナを張った音楽ファンに自らの音楽を届けるために、DIY精神に基づいたアイディアと実行力に満ち溢れていた。

自身が立ち上げた『AAレコード』からはラフィンノーズの音源だけではなく、同じアティチュードを持つバンドを発掘、プロデュース。そして特筆すべきは、大阪、東京で行われた “ばらまきソノシート事件” と呼ばれるプロモーション活動だ。

東京におけるこの出来事は1985年の4月28日。雑誌『宝島』などに記載された「ラフィンが新宿アルタ前でソノシートを無料配布」という告知を通じ、当日には多くのパンクスがこの場所に集結。歩行者が歩けないほどの混雑ぶりでパニック寸前になり、多数の警官が出動。結局事故を危惧したチャーミーの機転によりアルタ前から程なく歩いた旧新宿ロフト前での配布となったが、この出来事は80年代のインディーズブームのひとつの発火点として、今も語り草になっている。

矢沢永吉に匹敵するストリートの経営哲学

この時配布された「聖者が街にやってくる」は中古レコード市場において瞬時に高値で取引されるようになる。この時期を前後してラフィンノーズは有頂天、ウィラードと並び、“インディーズ御三家” と呼ばれた。そして、同じく85年の8月8日に放送されたNHKドキュメンタリー『インディーズの襲来』の冒頭でチャーミーはこんなコメントを発する。

「(インディーズレーベルを)やってよかったと思うよ。何らかの形で今のインディーズの足しにはなったと思う。陰でゴチャゴチャ言うやつもおるけど、それならやってみなさい。やりなさい。やってから物を言え。俺はやったもん」

―― と。

このスタンスは、矢沢永吉の『成り上がり』にも匹敵する確固たる信念のもとに生み出されたストリートの経営哲学だ。

そして80年代半ば以降、数多くのバンドがラフィンに倣いいくつものインディーズレーベルを設立した。自らの音を、自らの手によって広げ、自らの場所を作り上げる。ネットなき時代、このようなムーブメントは、口コミで、ライブハウスに貼られているフライヤーで、一部の雑誌記事で流布されシーンは成熟していった。

ラフィンのライブにゃ愛がある

あれから40年近くという時間が流れ、音楽シーンは変貌していった。しかしラフィンのこのようなスタンスは、現在も継続中だ。

チャーミーは常々言う。

「ラフィンのライブにゃ愛がある」

―― と。

それは、自分たちの音を必要とするファンのために大きな資本に頼るのではなく、自分たちで道を切り拓き、誰にも邪魔をされない自分たちの場所を作り上げてきた… ということだろう。

それは金のためでも名声のためでもない。現在進行形の自分たちの音をファンにダイレクトに届ける。そこに特化した長きに渡る活動歴は、ファンに対する “愛” 以外の何物でもない。

カタリベ: 本田隆

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