【読書亡羊】電機産業から見えてくる日本全体の「失敗の本質」 桂幹『日本の電機産業はなぜ凋落したのか』(集英社新書) その昔、読書にかまけて羊を逃がしたものがいるという。転じて「読書亡羊」は「重要なことを忘れて、他のことに夢中になること」を指す四字熟語になった。だが時に仕事を放り出してでも、読むべき本がある。元月刊『Hanada』編集部員のライター・梶原がお送りする週末書評!

電機産業界「五つの大罪」とは

政治家はもちろん、財界においてもリーダと呼ばれる人がほぼ必ず読んでいる名著と言えば、『失敗の本質』(中公文庫)だろう。日本軍という「破綻した組織」の事例に学ぶための「座右の書」だが、その学びが本当の意味で生かされている例は、それほど多くはないのかもしれない。

桂幹『日本の電機産業はなぜ凋落したのか』(集英社新書)を読んで、改めてそう感じた。

著者の桂氏は大学卒業後、TDKに入社。同社が米企業イメーション社に買収されると、日本法人の常務取締役となった。TDKと聞いて「カセットテープでお世話になったなあ」と感じるのはおそらく40代以上だろう。

本書ではTDKが記録メディア事業で一世を風靡したものの、その後没落していった経緯に加え、桂氏の父でシャープ元副社長であった桂泰三氏のオーラルヒストリーを交えながら、「日本の電機産業の失敗の本質」を浮き彫りにする。

そしてその失敗を「五つの大罪」と名付けている。

①誤認の罪―デジタル化の本質の見誤り
②慢心の罪―成功体験から抜け出せず後発の追随を許す
③困窮の罪―プラザ合意と後の不況で資金的余裕を失う
④半端の罪―日本流雇用改革が中途半端に終わる
⑤欠落の罪―明確なビジョンがない

これらについて、各章で具体的な体験や事例に基づいて解説している。

しかも、TDK時代の自らの失敗をエピソードとともにさらけ出しているために、単なる批判にとどまらないところが面白い。言いっぱなしでなく、具体的な提言まである点も大きなポイントだ。

「台湾なんて大したことない」の慢心

第一章では、記録媒体がカセットテープからMD、CD-Rとデジタルへ変化する中で、カセットよりもはるかに安く作れるCD-Rで台湾企業が業績を伸ばし、TDKを猛追する経緯が描かれる。

TDKは自社生産から、あっという間に台湾企業からCD-Rを購入しなければならない状況に至る。価格競争に負けたためだ。デジタル化に伴う「必要以上に高い品質やブランドよりも、それなりの品質で安いもの」を求めるニーズを見逃したからだ、と本書は解説する。

さらには第二章で、「台湾や韓国に抜かれるはずがない」と思い込んでいた慢心を指摘する。実際、TDKでは営業担当者が「安い台湾製が出回っている」と危機感を持っていたが、製造部門は「台湾メーカーなんて大したことない、質が悪い」と切って捨てていた。

「台湾なんかにいいものが作れるはずもない」「日本の品質が一番だ」と思い込む慢心のなせる業だったと指摘する。

さらに、桂氏の父が務めていたシャープは、韓国企業・サムスンに技術指導や支援を行っていた。それはある意味では「善意」からだったが、桂氏は「これくらい教えても追いつかれはしまい」という慢心があったのではないかとも述べる。

これは半導体を巡る日本の「没落」の説明にもなろう。世界シェアを取った日本の半導体は、高付加価値、高品質で高価なものを売る路線から展開できず、安く大量に作れる台湾・韓国に競り負けた。

経済安全保障が注目される現在、日本はアメリカの協力も得て「日の丸半導体の夢よもう一度」とばかりに前のめりになっているが、一度見た夢の成功体験を捨て去り、この30年あまり着々と業績を伸ばしてきた韓国や台湾の企業に虚心に学ぶ姿勢を持つ必要がある。そうでなければまた同じ過ちを繰り返しかねない。

そのために桂氏は「モノづくり大国・日本」という「神話性」そのものを見直すべきだとも指摘する。かつて、日本製が世界で求められたのは、高品質だったからだけではない。安かったからだ、と。

克服できない「失敗の本質」

「欠落の章」と題した第五章では、『失敗の本質』の一節が引用されている。

目的のあいまいな作戦は、必ず失敗する。それは軍隊という大規模組織を明確な方向性を欠いたまま指揮し、行動させることになるからである。

同様に、電機産業が凋落していった1990年代以降の日本の電機産業企業に欠けていたのは、明確な目標を掲げ、社員を行動させる姿勢だった、と本書はいう。

今はどうか。ミッション、ビジョンが大事だという話は浸透し、数年前からはさらに上位の「パーパス」というビジネス用語が広がり始めている。これは「ミッション(目的)やビジョン(あるべき姿)よりもさらに上位に位置する、企業そのものの存在価値や社会的意義」を指すようだ。

だが「パーパスとは何か」についてまとめたページのある、某企業のウェブサイトを読んでいると頭が痛くなってくる。「サステナブルな企業に……」「パーパスブランディングでより多くの人々の共感を……」。何を言っているのか(言いたいのか)、正直さっぱりわからないのだ。

別のある企業は、こうした「パーパス」や自社製品の特徴を社会や顧客に説く役職を「エヴァンジェリスト(伝道師)」と名付けていたが、まず自分の役職を正しく顧客に説明できるのかと余計な心配をしてしまう。

桂氏は第四章で「半端の罪」にも触れている。ここでは主に雇用について「中途半端にアメリカ式を取り入れて失敗した」ことを指しているが、新しい言葉だけを持ってきて本質を理解せず「パーパスだ」「エヴァンジェリストだ」と言ってみても、これまた「半端の罪」に陥るだけだろう。

パーパスとは?ビジネスでの意味やパーパス経営の事例を紹介 | NECソリューションイノベータ

あくまで参考例です。

凋落するときはあっという間

本書を読む限り、電機産業の没落は「なるべくしてなった」としか言いようがないように思えるのだが、この「五つの大罪」は何も電機産業界のみに当てはまるものではない。

ほんの十数年前、保守論壇では「中国崩壊論」が盛んに唱えられていた。もちろんそれはしばらくして「中国脅威論」にとってかわったが、「毒入り餃子事件」(2008年)頃の中国への視線は「遅れた国ってのは本当にどうしようもないね」といったものだった。

既に中国の軍事力、経済力の台頭は見えていて、警鐘を鳴らしてもいた。だが「そうはいってもまだまだ日本の方が中国よりも進んでいる」との「慢心」が全くなかったとは言えないだろう。あっという間にGDPも科学論文数も追い抜かれてしまった。

あるいは韓国企業のサムスンが半導体(DRAM)シェアで東芝を抜いたのは実に1993年のことだが、そこから20年近く、日本(特に保守の間)でのイメージは「韓国がまた日本の金を目当てに謝罪と賠償を要求している、日本にたかっている」といったものだったのだ。

これも一つの慢心であり、誤認であったことは間違いない。

いつまでも大国意識が抜けないでいる間に、「出稼ぎ先」としての日本は中国に見限られ、ベトナムからも「大して稼げないし、そろそろ潮時」とみられる状況にある。ついには若者たちが他国へ出稼ぎに行く国になってしまった。凋落はあっという間だったというほかない。

本書が指摘する「五つの大罪」は、「日本はなぜ凋落したのか」の答えでもあるのではないだろうか。

梶原麻衣子 | Hanadaプラス

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