救済への光どこに カネミ油症次世代調査の報告会 親世代の悲痛な声

カネミ油症次世代調査の報告を受け、集会で複雑な思いを語る被害者ら=福岡市内

 カネミ油症の次世代への被害連鎖を証明し、救済につなぎたい-。55年前に汚染油を摂取した「油症1世」の親世代は23日、祈るような思いで、福岡市内であった全国油症治療研究班(事務局・九州大、辻学班長)の調査報告会に臨んだ。だが、子や孫ら次世代の被害解明に至る内容ではなかった。「光は見えているんでしょうか」。悲痛な声が会場に響いた。

カネミ油症事件と次世代調査をめぐる年表

 長崎県などに被害者が多い油症。その救済制度は、油症認定されれば原因企業カネミ倉庫(北九州市)から療養費などを得られるが、認定の基準は油症の主因ダイオキシン類の血中濃度を重視している。このため同濃度が低い次世代被害者は症状があっても認定に至らないことが多い。
 研究班は2021年、公的には初めて次世代に特化した調査を開始。救済へ医学的根拠を積み上げるのが目的だ。だからこそ被害者の期待は膨らんでいた。出席した女性(69)は「救済が前提であってこその研究では」と訴えた。「子どもを守りたいという親の気持ちをどうして分かってくれないのか」という声も。
 辻班長は「(今回の)研究結果は次世代の被害が少ないことを主張するために出したものではない」と強調。「研究の方向性は見えている」とし、継続する調査、解析に理解を求めた。
 報告後、被害者団体が開いた集会。長崎県の下田順子さん(62)は「次世代は一日も早く救済を、という思いで調査に協力してくれたはず」と声を震わせ、福岡県の三苫哲也さんは「症状は出ている。解明してほしい」と訴えた。

◎2世であり母 「子どもに影響ありませんように」

 「私は母乳で育ちました。そして私も子どもたちに母乳を飲ませて育てました」-。カネミ油症2世の50代女性=長崎県五島市在住=が不安げな表情を浮かべる。23日の全国油症治療研究班の報告は、油症被害者の子(2世)や孫(3世)ら次世代の健康影響について不明瞭な内容だった。2世であり母親でもある女性の思いは複雑だ。
 両親は五島市でダイオキシン類など有害化学物質に汚染された食用油を摂取。1968年の油症発覚から数年後、女性と2歳下の弟は生まれた。小中学生のころ、毎年夏に油症検診に連れて行かれた。ある日、母に尋ねた。「どうして毎年検診に行くの」。母が「体に良くない油を食べてしまったから」と答えたのを覚えている。「(汚染油を)料理に使ったらブクブクと泡が出た」とも。
 検診を通じ両親と、皮膚症状を抱えた弟は同時に油症認定されたが、女性は未認定。「どうして自分だけ認定されないんだろう」
 高校卒業後、県外に出て、やがて結婚、3人の娘に恵まれた。母はがんを患い40代の若さで既に死去していた。女性は40代になった10年ほど前、油症検診を思い出した。夫に油症2世であることを打ち明け、受診について相談すると前向きに受け止めてくれた。
 約30年ぶりに受診。それから数回の受診で認定された。届いた書類には、ダイオキシン類の数値が高いことが記されていた。2004年にダイオキシン類の血中濃度が診断基準に追加されたことが要因とみられる。「子どものころ何回受けても認定されなかったのは何だったの」。なにか釈然としなかった。
 わが子の健康に不安がよぎり、現在20代の長女が高校生の時、一緒に油症検診を受けた。「人によっては油症に偏見を持つかも。だから他人には受診を言わない方がいい」と伝えた。
 母をがんで亡くし、80代の父は闘病中。研究班が進める次世代調査には長女も参加し、三女は昨年初めて油症検診を受けた。
 被害の連鎖にうっすらとした不安を抱えながら、現在五島市で暮らす女性。研究班の調査が次世代救済につながればと思う。しかし切に願っている。「子どもたちに油症の影響がありませんように」

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