<書評>『沖縄エッセイスト・クラブ 作品集40』 文章のフリートーク27選

 私はライトなお笑いファンなのだけど、時々、漫才やコントよりフリートークのほうが好きだと思うことがある。

 ネタはもちろん面白いが、どこに転ぶかわからない芸人さんのトークにひかれてしまうのだ(上岡さんと鶴瓶さんの『パペポTV』は最高でした)。これを文芸書にたとえるなら、漫才・コントが小説で、フリートークはエッセイといったところか。

 『沖縄エッセイスト・クラブ作品集40』は、文章のフリートークが27通りも楽しめる。

 最初のエッセイは石川キヨ子さんの「Aサインバーがあった頃」だ。18歳で1人神戸行きの船に乗った彼女は、着いて早々、迎えが来ていないというトラブルに見舞われる。幸い、那覇から乗船した大学生のお兄さんに助けてもらい、従兄の家に着くことができた。

 石川さんは就職口を決めずに神戸に来ていた。美容師見習いとして住み込みの働き口を見つけたからよかったものの、度胸が良すぎる。

 働きながら資格を取った石川さんは、普天間のすずらん通りで美容室を経営した。Aサインバーで働く女性たちとのやりとりが興味深い。子供を預けてそのまま帰って来なかった女性のエピソードは、映画かドラマのようだった。たった1編のエッセイで人生を一周したような気持ちになった。

 大城盛光さんの「窮すれば」は、戦後の捕虜生活を描いたものだ。徐々に収容所の配給が減ってきたため、草の葉や木の新芽などを摘み、食料にした。塩がなくなると、遠くの海岸まで一斗缶を持っていき、海水をくんでくる。その後、一昼夜炊いて茶わん1杯ほどの塩を作ることに成功した。

 彼らはソテツだって食べる。その頃には毒を抜いて、安全な料理が作れるようになっていた。過去のソテツ地獄に学んだのだ。

 その他、「本土復帰と私の仕事」(金城弘子さん)や「楽しい歌、悲しい歌」(久里しえさん)などが心に残った。27人の書き手はいずれも個性豊かで、その生きざまに圧倒されっぱなしだった。休憩を取りながら読むことをおすすめする。

(赤星十四三・小説家)
 沖縄エッセイスト・クラブ 1983年以降、年に1回、エッセイ集を発刊。今号には会員27人が寄稿した。まえがきではロシアのウクライナ侵攻による世界情勢の変化に触れ、「何かを書かずにはいられない」と記している。

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