「役作りに貪欲な『踊りの名手』に何が…」20年来の縁ある写真家が見た「役者 市川猿之助」

静岡にもゆかり深かった

歌舞伎役者の市川猿之助(本名:喜熨斗孝彦)容疑者(47)が母親の自殺を手助けした自殺ほう助の疑いで6月27日午前に逮捕された事件は、静岡県内のファンや親交のあった人たちに衝撃を与えています。

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猿之助容疑者は「市川亀治郎」を名乗っていた2006年8月12日に静岡市駿河区のグランシップで「亀治郎の会inしずおか」を開催。自らが演出した歌舞伎舞踊「鷺娘」を上演し、県内の歌舞伎ファンを魅了しました。またプライベートでも富士宮市在住の写真家、長塚誠志さん(81)のスタジオをたびたび訪れていました。

今回の逮捕の一報を受けて長塚さんは「ここ10年ほどは互いの都合で会っていないので彼に何が起きたのか正確に分からず、心配だし、困惑している」と動揺を隠せません。

メディアの質問を受ける猿之助容疑者と長塚さん(右)2011年

将来の大物役者、亀治郎との出会い

「この役者はいずれ大物になる。今のうちから記録に残したい」。長塚さんは「亀治郎」の知人から依頼され、約20年前から撮影を始めました。各地に残る芝居小屋で開かれる亀治郎の会に帯同した長塚さん。「舞台袖の限られたスペースに簡易スタジオを作って、妻に助手を頼み、出番直前のほんの数分を使って撮影しました」

力みなく、芸に迷いがない

ある日、役柄の獅子の躍動感を表そうと長塚さんが注文したのが「ジャンプ」でした。

「『亀ちゃん、飛んでみようか』と提案したら重いかつらや着物をものともせずにポンっと飛び上がってね。しかもシャッターを切る瞬間が分かるのか、頭を振り上げるから、たてがみが空中に広がって。1、2枚撮るとさっと舞台に出ていく。周りの空気がピリピリするくらい本番前に集中が必要な役者さんも多いのに、彼は違う。もう全て自分の中で準備が済んでいて、出番前でも力みがない。芸に迷いがない役者だなと感じていました」

歌舞伎界に新風吹き込もうと熱心に勉強

長塚さんは交友を深め、ラスベガスやロンドンなどでミュージカル公演などを一緒に楽しみました。「遊びのときの立ち居振る舞いは普通の青年。しかし、演出や舞台装置にも関心を寄せて、歌舞伎にも応用できるアイデアはないか貪欲に学ぶ姿が印象的でした」

仕事になればスタッフや若手の役者をまとめながら、新しい風を歌舞伎界に吹き込もうと、リーダーシップを発揮していたという猿之助容疑者。一方、自宅では、仏像と歴史や歌舞伎の本が並んだ簡素な部屋で過ごしており”学問の澤瀉(おもだか)屋※”の呼び名の通り、勉強熱心さが際立っていたということです。

※澤瀉屋は俳優市川猿之助、およびその一門の屋号。

猿之助襲名を機にさらに成長

やがて「亀治郎」は若手の歌舞伎役者の中でもめきめきと頭角を表し、2011年、4代目市川猿之助襲名を発表。長塚さんは翌年の8月に、これまで撮りためた作品を渋谷区の「アウディフォーラムトーキョー」で発表し、オープニングセレモニーで役者と写真家のコラボレーションについて報道陣の質問にも答えました。

長塚さんは「彼が周囲の期待を一身に受け『踊りの名手、亀治郎』から歌舞伎の歴史を支える一角に着実に成長をしていく姿をうれしく思っていた」と当時を回想します。

真実明らかにして

「彼との日々は役者と写真家の『気』のぶつかり合いだった。その思い出のどれもが楽しいものばかり」と振り返る長塚さん。猿之助容疑者が真実を明らかにして問われている責任を果たしたら「昔のように一緒に富士山を眺めながらコーヒーでも飲みたい」と願っています。

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