大人も子どもも泥まみれ、4年ぶり開催の「ガタリンピック」を楽しんだ

4年ぶりに行われた「鹿島ガタリンピック」で競技する記者=6月4日、佐賀県鹿島市

九州・有明海の干潟の泥にまみれて競技を行う「鹿島ガタリンピック」が6月、4年ぶりに佐賀県鹿島市で開催された。過去3年は新型コロナウイルスの影響で中止しており、今年は「リスタート」をテーマに掲げた。1985年に第1回が開かれてから、既に40年近くがたつ。子どもだけでなく、大人も夢中になる魅力は何なのか。佐賀県に赴任してからまだ経験できていなかった「有明海の運動会」を体験したいと思い、後輩の記者と参加した。(共同通信=加藤杏奈、狗巻里英)

 有明海は福岡、佐賀、長崎、熊本の4県に囲まれ、総面積は約1700平方キロメートル。地形の影響で、干潮時と満潮時の水位の差は最大6メートルにも達する。この干満差は国内最大で、干潟の面積は日本の干潟の約4割を占める。ハゼ科の魚ムツゴロウなど珍しい生物も生息する。

 佐賀県有明水産振興センターによると、阿蘇山の火山灰が風化して細かい泥になり、海に流れ込む。それが潮の流れで巻き上がることで、茶色っぽい濁った干潟が広がる。地元ではこの泥を、親しみを込めて「ガタ」と呼んでいる。佐賀市から鹿島市にかけての干潟は特にどろどろしているといい、ガタリンピックの競技場にぴったりだ。

 新幹線も高速道路も通らない地域を盛り上げようと、ガタリンピックは1985年に地元の若者らが企画して始まった。当初の参加選手は300人ほどだったが、今年は海外約15カ国からの約60人を含む約1500人が参加。約2万5千人もの観客が集まった。観光資源になると誰も思わなかった干潟は今や、日本全国から出場者や観光客が集まる「貴重な財産」に変わった。実行委員長の松尾壮一郎さんは「鹿島の魅力を知り、ファンになってほしい」と語る。

 6月最初の日曜日、佐賀県南西部にある「道の駅鹿島」の裏に広がる有明海。朝は満ちていた潮が次第に引き、数時間限定の競技場が現れた。時折、強い日差しが照りつける中、プラカードを先頭に選手らが入場した。

 競技は全部で8種目。台船上のクレーンから下がるロープを使って干潟に飛び込む「ガターザン」。干潟の上に敷いた幅60センチの板の上を自転車で走る「ガタチャリ」。板に乗って両手で泥をかいて進む「人間ムツゴロウ」などだ。

泥だらけになりながら競技を楽しむ参加者=6月4日、佐賀県鹿島市

 私たちは4人1チームでボールのたすきをつなぐ障害物競技に出場した。私(加藤)は第3走者、後輩が最終走者を担った。障害物ゾーンを乗り越え、約100メートル先のゴールに立てられた旗を目指す。スタート地点には全身タイツやコスプレ姿の参加者が並び、ゴーグルや耳栓をつけた気合の入った選手もいた。

 スタートの合図とともに、各チームの第1走者の20人がガタに飛び込み、いきなり全身泥まみれ。手足は泥にとられ、ゾンビのよう。なかなか前に進めない中、第2走者が繰り上げスタート。短い板にうつぶせで乗り、両手で泥をかいて進む「人間ムツゴロウ」のレースが繰り広げられた。

「ガタリンピック」を楽しむ記者ら=6月4日、佐賀県鹿島市

 「いけー、いいぞ、いいぞ」。声援や拍手、笑い声が飛び交う中、いよいよ私の出番。バトンを受け取り、水上走りさながら、泥で覆われ滑りやすくなった板の上を勢いよく走った。歓声と共に観客から投げつけられる泥が顔や体に当たり、笑いが止まらない。

干潟に向かってジャンプする記者=6月4日、佐賀県鹿島市

 最終走の後輩も苦戦し、発泡スチロールでつくられた障害物に飛び乗ろうとするも、泥の中に落下。干潟の深い部分はより粘度が増し、足がはまる。もがけばもがくほどバランスを崩し倒れそうになった。口の中にはさらさらした泥が入り、しょっぱいでは言い表せない風味が広がった。ゴールにたどり着いた時には旗は他のチームに奪われていたが、五感をフルに使って競技を楽しんだ。

 自転車ごと泥にはまった子供たち。カメラを抱えたまま泥に落下したカメラマン、それを救出するスタッフ。出場する子供を見守る観客席の親。干潟に広がるたくさんの笑顔は、新型コロナウイルスが奪った日常の「リスタート」を体現していた。大好きな鹿島の魅力を、また一つ発見することができた。

泥まみれになりながら「鹿島ガタリンピック」の競技を楽しむ記者=6月4日、佐賀県鹿島市

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