全ての物質はやがて蒸発する? ブラックホール以外でもホーキング放射が起こる可能性

宇宙最速の光さえも抜け出せないと表現される「ブラックホール」は永遠に質量を失わないようにも思えますが、実際には「ホーキング放射」と呼ばれるプロセスを通じて徐々に質量を失っていくと言われています。

ラドバウド大学のMichael F. Wondrak氏らの研究チームは、ブラックホールの特別な性質である「事象の地平面」がなくともホーキング放射が起こることを理論的に示しました。この考えが正しい場合、ブラックホールだけでなく全ての天体がホーキング放射を通じて質量を失い、最後には蒸発する可能性があることになります。

【▲ 図1: ホーキング放射の概念図。真空では仮想的な粒子 (+νe) と反粒子 (-νe) のペアがあちこちで生まれてはすぐさま消滅する。しかし、事象の地平面付近 (青色と黒色の境界) で発生した粒子のペアは片方だけがブラックホールに吸い込まれることがある。残されたもう片方は飛び出していくので、あたかもブラックホールが放射を起こして質量を失っているように見える。これがホーキング放射である(Credit: Physics Feed)】

ホーキング放射は、1974年にスティーヴン・ホーキングが予言した性質です。量子力学では真空は何もない空間ではなく、仮想的な粒子と反粒子のペアが生成と消滅を繰り返す “泡立った空間” であると表現されています。この粒子と反粒子のペアは“仮想的”と表現される通り、何もしなければすぐに消滅してしまいます。粒子として表れるために真空から “借りた” エネルギーをすぐに “返済” するためです。

しかし、粒子が真空から借りたエネルギーを外部から与えるなどして代わりに返済すれば、その粒子を実在のものとして取り出すことが可能です。これは、真空に強力なγ線を与えることで、電子と陽電子のペアが現れる実験でも確かめられています。

こうした粒子のペアの生成と消滅がブラックホールの境界である「事象の地平面」のすぐ近くで発生すると、ホーキング放射が起こります。事象の地平面は、それより内側に入れば光でもブラックホールの重力から逃れられなくなる境界です。

もしも仮想的な粒子と反粒子のペア(ホーキング放射の場合、質量がゼロの粒子)が生成された後、片方だけが事象の地平面を横切った場合、相方を失ったもう片方は実在の粒子として外に飛び出さなければなりません。仮想粒子が実在粒子となるにはエネルギーをどこかから調達しなければなりませんが、この場合はブラックホールの質量から調達することになります。質量はエネルギーと等しいため、ブラックホールは仮想粒子が実在粒子になった分だけ質量を失います。

この様子を遠くから見ると、まるでブラックホールが実在粒子を放射し、少しずつ質量を失っているかのように観測されます。これがホーキング放射です。ホーキング放射が起こり続ければ、ブラックホールは最終的に全ての質量を失う、すなわち蒸発すると予測されています。

以上の説明の通り、ホーキング放射が実現するには時空が一方通行となる事象の地平面が必要であり、事象の地平面に限りなく近い場所 (計算上は無限に近い場所) で起こるブラックホールに限定された現象であると長年考えられてきました。実験室でブラックホールを作ることはできないのでホーキング放射が実証されたことはありませんが、事象の地平面と非常によく似た状態を設定した実験ではホーキング放射のような現象が確認されています。このため、「ホーキング放射は事象の地平面に限りなく近い場所でのみ起こる」という認識は正しいようにも思えます。

しかしWondrak氏らは、「シュウィンガー効果」と呼ばれるアプローチを適用することで、ホーキング放射は事象の地平面よりずっと遠くでも起こることを理論的に証明しました。シュウィンガー効果は、1951年にジュリアン・シュウィンガーによって示された電磁力学的な現象であり、「十分に強い電場や磁場の下では、真空から粒子と反粒子のペア(より具体的には電子と陽電子のペア)が生成される」という現象です。

シュウィンガーが予言したオリジナルのシュウィンガー効果を起こすのに必要な電場や磁場の強度は高すぎるため、実験的に観測されたことはありませんが、非常によく似た状況を設定したところ、シュウィンガー効果のような現象が確認されたという報告があります(ただし、この報告については他の現象を誤認した可能性もあり、現在確認中です)。

重要なのは、強大な電場や磁場が必要なシュウィンガー効果は、ブラックホールの近辺という強大な重力場の下で起こるホーキング放射によく似ていることです。真空から粒子と反粒子のペアが生成されるという状況もまた似ています。大きな違いは、シュウィンガー効果が起こる確率は電場や磁場の強度に依存しており、どこでも起こり得る現象であるのに対し、ホーキング放射は事象の地平面付近という極めて狭い範囲でしか起きないと予測されていることです。これは本当なのでしょうか?

【▲ 図2: 今回の研究で明らかにされたホーキング放射の様子。ブラックホールから離れるほど、「仮想の粒子と反粒子が生成される確率」は低くなるが、「粒子の片方だけが逃げ出す確率」は高くなることが分かった。 (Image Credit: Wondrak, et.al.) 】

Wondrak氏らは、重力場に対する計算 (※1) を行うことで、ホーキング放射が重力の強い場所ほど起こりやすい現象であることを証明しました。重力の強い場所、つまりブラックホールの近辺である事象の地平面付近で最も起こりやすい点はこれまでの認識と同じですが、今回の研究では「重力場が強い場所ならば事象の地平面から遠く離れていてもホーキング放射が起こる」ことを証明したのが重要なポイントです。

※1…熱方程式に対して熱核を求めるアプローチで重力場の計算を行うこと。ホーキング放射は熱放射と同じであるとみなせる熱力学的な現象であり、このような計算が可能です。

ホーキング放射がどこでも起こり得る現象であり、起こる確率が重力場の強さによって決まるという性質が本当であれば、シュウィンガー効果と非常によく似ていることになります。今回の研究では、ホーキング放射が最大化するのはブラックホールの半径(中心から事象の地平面までの距離)の約1.25倍であることが明らかにされました。これは、事象の地平面に限りなく近い距離でのみホーキング放射が起こると考えられていた従来のブラックホール像とは大きく異なります。

Wondrak氏らの証明が正しければ、ホーキング放射は重力場さえあればどこでも起こる現象であり、事象の地平面は不要ということになります。ホーキング放射が起こるには何かしらのエネルギーが必要とされることに変わりはありませんが、そのエネルギーは重力場の源である天体自身が出処になります。このため、ホーキング放射によって蒸発する天体はブラックホールだけに限定されず、あらゆる天体がホーキング放射によって蒸発することになります。

実際には、ホーキング放射は極めて弱いプロセスであるため、蒸発が起こるにはゼロが数十個並ぶほどの非常に長い年数が必要となります。また、ブラックホール以外の天体では、陽子崩壊 (※2) など別のプロセスの方がよほど早く進むでしょう。それでも、非常に半径の小さな中性子星などでは、ホーキング放射が無視できないレベルで働く可能性もあります。

※2…陽子の寿命は有限であり、長い時間をかけて素粒子に崩壊するという予測。この予測が正しい場合、ブラックホール以外の天体ではホーキング放射よりも陽子崩壊の方がはるかに速く天体の質量を失わせる原因となります。

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文/彩恵りり

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